2017年

4月

11日

日曜講座なるものを

始めてもう10か月。1回会場のカフェのオーナーがインフルにかかったので中止しましたが、なんとか月イチのペースで開催しております。中身は従来の研究をわかりやすく、かつできるだけ画像を用いてお話するもので、これがけっこうキツい。今月のゲイシャの話でも論文を書いた際には全く画像は掲載しておりません。たまたまへんてこな研究発表会に出た際に画像を少々集めたことはありますが、1時間以上話すとなると相当の分量が必要になります。するといろいろの発見があるもので、今回は1900年のパリ万博に出演した新橋烏森芸者一行の画像が入手できました。国会図書館にもない小冊子で『洋行みやげ』というものですが、なんと「国文学研究資料館」なる組織のアーカイブズで提供されてました。全部ではないのですが画像があるだけ助かります。(聞き書きは「明治百話」などで読めます)さて、フジヤマ・ゲイシャのゲイシャはオペレッタ「The Geisha」から広まったものであるという話で1時間。CDでAmorous Goldfish とChonkina という唄を聴いてもらい、チョンキナがどんな遊びの唄なのかを縷々説明いたしました。まあ、熱心に聴いて頂けたこと。私も勉強になりましたです、ハイ。来月は土用丑の日の「丑湯」と「丑湯祭り」についてお話する予定。今日は雨降りで外の作業も出来ないので丑紅の画像などをセレクトしております。

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2017年

4月

04日

1年経ちました

引っ越しから1年。何かやる気が出ず、論文も1本書いただけ。ま、ぐだぐだと日を送っておりましたが、幸い月イチで観光学の日曜講座を開くことになり、従来発表した論文のパワーポイント化や資料の整理(というか発掘)が少しずつできました。その資料整理の過程で、現在「カンバス バンガロー製作所」の資料集めに取り組んでおります。5月には長崎で2週連続で史料集め、次いで特許庁での資料集め、と形になりつつあります。今年は研究学会の方で発表する予定。

さて、来週は「ゲイシャ」の講義。シドニー・ジョーンズのオペレッタのアリアを聞いてもらうことにします。

2016年

6月

06日

ようやく研究が

ようやく研究が…

形になってきました。今年のテーマ、①観光列車の源流?「回遊列車」の誕生について②馬の海水浴③ポツダム勅令、特に航空運送事業令の中の約款の研究、の一番目です。6月11日(つまり今週土曜日)に学会発表する予定。そのあと、O観光大学の紀要に投稿する予定。今年は10枚以内に抑えて、ペナルティを払わないようにせねば。大(おお)新聞だの小(こ)新聞だのが出てきたり、徳川実記が出たり、大津事件が出てきたりと内容は盛りだくさん。観光列車を研究テーマにしている院生とちょいと張り合ってみました。なにせ、この4月から無所属(無職)となったので、元だの前だの(英語じゃどっちもformerですけどネ)の肩書をつかうのもいやで、研究所を設立しそこの所長というか代表というか、そんな肩書で発表することにしたものです。個人で設立できる「合同会社○○研究所」でありまして、そこの代表社員でありますからして、「研究所」の「代表」といってもまんざらウソじゃありません。

当初、名古屋で開催される予定の学会が急きょ東京に移り、さらに実行委員長の負傷(原因不詳)で別会場に。めんどくさいハナシですが、まあ発表できればよかろうと考えております。同学会の学会誌には論文は掲載しない予定です。理由はCiNiiに全く反映されないこと、などなどです。

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2016年

1月

21日

気が付けばもう1月下旬

2校やらE/Sの作成やらでいつの間にか1月下旬。講義もあと僅かで終了。S短は2科目、T大は1科目の試験、1科目レポート。K学院はレポートのみ1科目。昨日K学院の最終講義後、図書館で朝日の縮刷版を熟読。観光列車のハシリである「回遊列車」がヨミダスの明治29年にあったとの情報があったので(N君からだが、実は手持ちにあった。)その分を朝日で確かめようというワケ。ヨミダスは8月となっていたが、7月の広告で発見。中に「例年のごとく」と書いてあるので、こりゃ何じゃ、と前年・前々年を辿り、ついに明治25年まで遡ったのでありまス。いやー、収穫、収穫。ところで、イミダス掲載の8月分は見落としたので、次回もう一度トライしてみることにいたします。やれやれ、これで「観光列車」の基礎データが整い始めたゾ。

 

2015年

12月

06日

今年もあとわずか

日本医史学会と日本観光学会にやっと出席できました。観光研究学会は観光学会と同一日程だったので出席できず。日本医史学会では今年もこの1年の物故会員に黙祷。これでも若手なので、何か投稿するようにとお勧め頂いた。観光学会は若干運営に問題はあったものの、100名を超える人数でまあうまくいったと評価できる。K先生ご夫妻に感謝。しかし、金土日とでかけると疲れます。トシかしらん。

さて、来年度のみの非常勤になりそうなので、また引っ越しを企てねば。K学院大の図書館で朝日新聞の明治期からの縮刷版を発見。これは役に立ちそう。県立図書館にもないものがこんなところにあるとは。見直しました。

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2015年

11月

07日

やっと締切に

2本とも間に合いました。ともに紀要論文ではありますが、O観光大学はすぐにPDF化して掲載されるので、外からも読まれているようです。S短大のはどうなってるんだかCiNiiにもさっぱり反映されてない状況です。能力の差かはたまたやる気のせいか…。それにしても年間2本程度と思っていたら、今年は特にキツかった。いずれこのブログにアップする予定ですが、平安期を中心とする漢文日記を読むのが大変でした。鹽湯の先行研究はあるにはあるものの、史料大成なんだか、大日本古記録なんだかの別が書かれてないし(どうも変わった学問分野と見えます)、一応両方を読むことに…。いやー、しんどかった。

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2015年

7月

23日

どうにか紀要の恰好が…

定まってきました。なんせ、平安時代(1023)から明治年間までの鹽湯治だの鹽湯だのの用例をまとめようというのだから、まあ大変。既存(というか、昔集めた)の資料に加えて、未見のものを掘り起こそうとするから、大変さは予想はしていたが、まあ、疲れること。問題は字数ですな。9ポイントの本文だからなんとか10枚を少し超える程度で収めたいけど、さてどうなるか。整理を始めると、あの資料はどこに行ったかな、あれ、奥付がとってない、だのぽろぽろ欠陥が出てきてさあ、大変。でも国会図書館のデジタルライブラリーで見ることのできる史料もかなりあるので大助かり。問題はネットへのアクセスで、なんだかここ数日調子が悪い。ひどい時には1分ももたずにダウン。お天気のせいですかな。

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2015年

5月

23日

観光学会の合同研究発表会のネタ

自宅の近くで開催されることでもあるし、出席してみることに。ついてはなんぞ発表しなけりゃ、ヨソの学会さんに失礼やろ、というわけで「海水浴研究におけるチェックリストの必要性について」という妙なタイトルで発表をする旨の申し込みをいたしました。チェックリストというよりは、「こんな資料を使って論文書いたら恥かくよ。」という参考資料の示唆(つーか、厳しい指摘・追及)なのであります。

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2015年

5月

23日

国際観光論のデータ

富大で講義を始めて2年目になるが、とにかくデータが古いので困ります。昨年はUNWTOから資料を買い込んだ程度だった(それでも100ユーロ以上かかりました)のですが、今年はグローバル・ノートからも、他のWEBからも積極的に取り込んでおりますが、これがけっこう大変。でも、自分の勉強にもなるので、ウンウン言って探します。

Le tourismeinternational en France ( Data.gouv.fr)は仏語でしか記述がなく
Entradas de turistas segun Pais de Residencia(Instituto de estudios turisticos)は英語版がなかなか出なくてもう大変。







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2015年

5月

21日

尾小屋鉱山と横山家

小松市にあった銅山です。加賀八家のひとつ横山家が開発し、ご一新後の金沢の経済を支えていたそうです。ここの古い写真をお持ちの方と、何か企画展でもできないかという話が出てきております。

鯛生金山が地底博物館に生まれ変わって脚光を浴びてるのに、ここはひっそりとしております。やっぱ、何かしかけなくっちゃ、ですよね。

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2015年

5月

21日

新生活も軌道に

乗り始めました。3大学と英語教室もそれなりにこなしております。ただ、同じ1コマでも9人のところもあれば112人のところもあって、ちょいとアンバランスです。(これで同じ金額じゃ、あわねェ、という声あり)家で教材を作成し、学校で印刷するパターンも大丈夫なんですが、今週は星短で印刷機が故障するというアクシデントが…。112人分を印刷するので、午前中から出勤してるんですが、これにはマイッタ。ま、別の印刷室でジタバタしながら刷り終えてヤレヤレです。それにしても「故障中」(あ、これ、間違いです。「故障」が正しい。)と紙だけ貼って知らん顔してる輩を張り倒してやりたい、と思ったモンです。

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2015年

4月

02日

心機一転!

家康公400年祭にあわせてパンフレットを作るから、何か書けという話が静岡の天文(てんぶん)さんからまいりました。研究室明け渡し作業やら研究所年報用の原稿書きやらと同時並行でかなりてこずりましたがなんとか締切までに入稿できました。3月31日に見本拝見。うまく仕上がってました。執筆者名として富山大学講師(元静岡英和学院大 助教授)とのタイトルをつけてもらいます。(どこの馬の骨かと怪しまれないように)

あとはもう一冊用に駿府96ヶ町の記事を書かねばなりませんが、これも駿國雑志をコピーしてきましたので下準備はOKです。

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2015年

2月

17日

OH!観光大学研究発表会

なんか変てこな研究発表会でありました。一応、学長さんがオープニングの挨拶はされたものの、会場のセッティングはされておらず、学生の出席を取るだの、自分の発表?では「教科書の第5章を開いて!」ときたもんだ。まあ、相変わらずヒドイなー、と思ってましたが自分の発表だけは片付けました。「Geishaのイメージの淵源について」というのでありますが、これがメインの画像です。なぜこれがゲイシャなのか、一見でおわかりになったアナタは偉い!

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2015年

1月

09日

さあ、新年だ!

気がつけば2015年が始まっております。(12月は1本も書かず)今年も観光関係に絞っての「観光教室」でありますが、2月アタマまでに学生どもの論文(と言えるかどうかは別にして)のチェック、あとは共同研究の担当部分執筆、その他共同研究室(ま、職員室です)を退去するに際しての片付け、などなど、課題も段ボール箱も机の上も山積みであります。ま、新しい車がずいぶんと積めるので楽ではあるのですが…。あ、O観光大学での研究発表も作らねば。

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2014年

11月

27日

観光学会が終わったら

いやはや遠い会場でありました。習志野の演習場より奥だとは知らなんだ。帰ってくればこんどは大阪での学会の出張申請が…暮は忙しい。折角の4連休が金曜日に紀要の印刷屋の相ミツだとかでほぼ半減。ま、これもいたしかたなし。次の学会は発表もなく司会だけだから、まだイイ方。学内ではまた余分なお仕事が回って来るし、これも仕方のないところでアリマス。

2014年

11月

14日

新しいブログを書く

締切1週間(実際は8日)過ぎてやっと完成。タイトルは変わらず。東京=長野=富山=金沢=大阪路線が開設からたった4か月半で終わってしまったことが判明。使用機材のフォッカー・スーパー・ユニバーサルが事故続きで隔日運航になったあと、完全に運航停止になったもよう。その後、待てど暮らせど飛行機は舞い降りなかったのであります、チョンチョン。愛国金沢飛行場の残滓である「飛行橋」(まあ、レプリカみたいなモンです)の撮影に行ったり、図版の縮小版をこさえたり、と雑用があって執筆が遅れたのであります(いや、ホント)。昨年より若干字数が増えたようで(1000字くらい)これもまあまあなところ。あとは観光学会での発表用のパワーポイントの作

成であります。

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2014年

9月

22日

奄美に行ってきました①

バニラエアーの格安運賃があるので奄美に行きませんかというWA大のN君の発案で久々に観光大使らしい仕事をしてまいりました。ナニ、基本的には運転手なんですが、男3人(色気も何もあったもんじゃナイ)4日間で北はあやまる岬から南は瀬戸内町の古仁屋、中部の大和村、最終日は紬観光課まで。ああ、Tさんの県立図書館奄美分館にも行ってきました。(NDLのデジタルデータのプリントアウトにチャレンジしたのですが見事に失敗、でも北陸三県より離島の方が進歩してるのにはハイドンじゃなく『驚愕』。)紬観光課にお邪魔して「着地型観光」の実態を伺ったのでありますが、この話が翌日市長のスピーチに出てた、というのでこれまた『驚愕』!

一つ収穫。島唄を聴かせる店(有名店2軒)で客の遊ばせ方が大進歩してました。あれならリピーターも確保できる。唄者同士で連携してるのかしら。これは紬観光課にレポートしておかねば、と思った次第でありマス。

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2014年

9月

22日

法学との共同研究(コラボ)③

運送規程(大日本航空のですが)を発見しました。時刻表に(抄)としか掲載されてないのでちょっと残念だったのですが、航空図書館で遂に発見!新たな道が開けました。なるほど、運送約款が附合契約になるわけだ。ついでにエアガールの服装規程とサービス基準もゲット。これで論文3本はイケる。

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2014年

8月

25日

航空図書館から資料を

コピーしてまいりました。昭和12年 帝国飛行協会発行 『本邦民間飛行場図』。富山はあっても金沢はなし。まあ、正確な図面があってよかった。

8月も終わりだというのに1回も書いてなかったなー、と若干慙愧の念であります。

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2014年

7月

21日

富山飛行場建設誌、発見!

朝から富山県立図書館へ。「北陸タイムス」に絞ってマイクロフィルムを流し読み。で、昭和8年10月8日(日)が開港日と判明。梨本宮様がご台臨あそばされた。ここらへんもちゃんと事前に根回し済。金沢飛行場とはまったく違う。

開港までの記事を31枚ばかり集めて、新聞閲覧から富山県史を読みに。そこで参考文献に『富山飛行場建設誌』があるのを知り、リファレンスに問い合わせると、なんと所蔵されておりました。早速全頁コピー申込み。合わせて県史も該当箇所をコピー・送付依頼しました。やれやれ、これで金沢と同じスタートラインに立てました。日本の古本屋には出物ナシ。それにしても、隣県なのにこの熱の差は何なんでしょうねー。

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2014年

7月

15日

紀要論文のタイトル、できました

紀要「星稜論苑」用の論文タイトルができました。「金沢飛行場と富山飛行場および戦前の航空事情について」(仮称)であります。まだ金沢飛行場の開港前後の新聞記事と若干の史料を集めただけですが、夏休みをかけて富山県立図書館で富山飛行場の記事を探します。これが星稜論苑最後の投稿になりますかな。別稿では国際観光年を取り上げるつもりです。

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2014年

7月

02日

今年の論文のテーマが…

まだ、決まりません。国内航空運送約款の研究はそこそこ進んでいるので、これはよし、として、次なるテーマが出てこない。愛国金沢飛行場と富山飛行場でも書いてみようか、と思ってるのですが、これは紀要に書くことにして、では研究学会に何を出そうか、これが目下の悩みのタネであります。

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2014年

6月

04日

法学との共同研究(コラボ)②

法学では共同研究者にかなわないので、古いところを穿り返しております。参考資料もだいぶ仕入れました。日本航空輸送やら大日本航空やらあったのに、「運送約款」って、なかったんだろうか、という疑問が湧いて調べてみたところ、「運送規程」(キホド)というものがあったことが判明。ただ、全文でなく(抄)しかないのが残念なところ。戦後国内航空再開の折、ポツダム政令で定めた中に初めて「運送約款」という言葉が出て来ております。

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2014年

6月

04日

重文内の自販機

Facebookで重文の四高記念館には自販機がないと嘆いたら、和大の院生N君が教えてくれたので、昨日講義前に覗いてみました。なるほどあった。なんでこれに気づかんかねー。まるきり無関心で展示物を見てたに違いない。とにかく水分補給に大和デパートまで歩かなくてもよくなりました。

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2014年

4月

30日

法学との共同研究(コラボ)①

航空法107条に定められた「営業所その他の事業所において公衆に見やすいように掲示しなければならない」『運送約款』であります。(読めますか?)今年度(おそらく星短で最後)の共同研究で、星稜大のK先生と一昨年に引き続き再びコラボすることに。きっかけは昨年の法制審議会の中間試案で民法に約款に関する規定が設けられる可能性がある、と報じられたからでもあり、昨夏の預託犬の熱中症による死亡のケースがウヤムヤになったからでもあります。4月最初で最後のブログは今年度の研究テーマ、「航空会社の国内旅客運送約款の研究―特に第2章第4節『責任』に着目して」についてであります。本日KMQ APOの施設見学を二人でこなしてまいりました。空港所のK部長はじめ皆さんに大感謝であります。

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2014年

3月

21日

DVD入荷しました①

2月下旬から3月アタマまでまたもや姉のおともで中欧に行ってきました。チェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリア4ヵ国(なんか分離したので1国増えたような気が)8日間。移動1日、観光1日という慌ただしい(というよりはせちがらいような)旅でありました。

収穫、つーか戦利品。チェコで買ったJAPONSKOというDVD。内容がスゴイ!(あ、別に変な意味でなく)①日本紹介、②高山、③金沢、④能登半島、⑤広島、⑥宮島、⑦直島、⑧京都となっております。一度見た限りでは合掌造りだの高野山?だの、大阪(住所表示から地名は確かだと思います)だの含まれてるので、複雑な構成なのでありましょうが…。こいつはシティカレッジで紹介しなくちゃ、と考える次第。

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2014年

2月

19日

カレー粉と肉エキス⑤

アーネスト・サトウの旅行日記1・2(平凡社東洋文庫544・550)にリービッヒの肉エキスが出てました。

①なぜか2巻第11章 ディキンズと富士山へ 1877

7月30日「4時に起床しリーヴィッヒのスープをつくりそれを飲みながらビスケットw食べた。」p111

②1巻第3章 悪路・険路の針ノ木峠と有峰伝説 1878

8月4日「残っている持ち物といえばリービィッヒの小瓶、瓶詰肉の入った半分空の缶箱、1ポンドのチーズくらい」p117

 

期待はしてなかったけどこれもまた抄訳で、しかも仰々しく「日本旅行日記1・2」などと題しおって。ま、少しは役に立つ程度でス。Liebigだからリービッヒでいいところをわざわざ(あるいは知らんのか)リーヴィッヒだのリービィッヒだの書きおって。ま、唐崎の夜雨(よさめ)よりはましかも。

 もっとも野麦峠のところで『麦を意味するものではなくこの付近一帯に自生するクマザサのことで』と馬脚が出たね。おいおい、実だよ、実!えーと、彼は私より14歳年上ですな。勉強の足らんおひとでス。

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2014年

1月

29日

カレー粉と肉エキス④

出ました!これが件の肉エキス!N嬢から頂戴した資料の参考文献からあっちゃこっちゃ飛んで見つけ出しました。なんでも、商品のおまけ(グリコみたい)についたカードだったらしく、めったやたらに売りに出ております。安いのは数百円程度。缶詰だったり、瓶詰だったりといろいろ絵柄はあるのですが、調理に使っているのはこの画像のみ(いまのところ、ですけど)。

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2014年

1月

22日

フットパスを歩く③

この階段を上がると禄剛埼灯台に行けるのであります。以前は道の駅のすぐ横手からダラダラ坂を登ったのでありますが、こちらの方がずっとイイ。

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2014年

1月

21日

フットパスを歩く②

5限終了の学生を収容して(それでも30分遅れ)バスはひた走り、20時30分過ぎに珠洲ビーチホテル着。ただちに晩飯。その間、部屋割り。本来なら女子学生は一部屋に押し込めのところ、4人欠員が出たのでツイン2室をアサインしました。たまにはサービスせねば。

某室で酒盛り。休憩所で買ったつまみが足らず、手土産のヨックモックを開ける羽目に。やっぱ、つまみは多めに買っておくモンです、ハイ。それにしても、よく食う奴らでありまス。

さて、翌朝。6時起床はお約束。早起きは老人の常で、各部屋を叩き起し、7時に朝食。やっぱ、よく食う連中でした。7時半出発が7時40分くらいで済んだのは上出来。地獄の1丁目へのご案内、と思ったら、さほどのこともないウォーキングツアーでありました。小雪が降りしきる天候。予め支給したビニール合羽とホカロン(貼らない大2、貼る小2、靴下用1)は早速奏功。翌日リクナビ予定の連中に風邪でもひかれちゃたまらんモンね。

美女K嬢とベテランガイドOさんに案内され、屠所のヒツジよろしく12名は歩きだしました。

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2014年

1月

11日

カレー粉と肉エキス③

N嬢から有難い情報を頂きました。マレーのハンドブック、初版にはカレー粉じゃなくて、リービッヒの肉エキスが掲載されていたとのこと。いやいや、かような情報があると、現物にお目にかかりたい、と思うのですが…。味わうのは140年も経ってるので無理だとしても、容器だとか、ラベルだとか残っておらんもんでしょうか。

明治時代には「外人サン」は何を食っておったのだろうかというのを今年のテーマにしようかと思ったのですが、ガイド(外人案内業者)研究の裏テーマみたいだし、新進の社会学の学徒を料理研究に引きずり込むみたいで気が引けます。なので勝手に調査することに…。火星の運河で有名な(でもないか)パーシヴァル・ローウェルが能登を旅したのが明治22年、その時高崎駅で「ゆでたまご」を売っておった、と書いております。しかるに、漱石先生(福沢先生と同格にしている訳ではございません、念のため)が阿蘇に登った明治32年には、熊本県阿蘇郡内牧で女中サンが半熟卵を知らなかった、という記述が出てきます。半熟の意味が解らない女中さんに説明して出てきたのが片方は生卵、片方はハードボイルド。女中さんをなじると、「半分、煮て参じました」と答えるあのくだりです。いやいや、変な雲行きになってまいりました。

 

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2014年

1月

10日

フットパスを歩く①

能登キャンパス構想事業で予算がついたので、珠洲市のフットパスを歩くことに…。なにも冬のこんな時期に、とは思いますが、調整がさっぱりうまく行かず、後期に入って学生のスケジュールは就活一色で空きがない状態。翌日が休講日という16日を選んで、必然的にかようになった次第。それでも実施できてよかった。これも向かいの席に座るS先生に話したおかげであります。先生の教え子でフットパスの選定などを手掛けたKさんに(学生どもの大先輩であります)ご案内頂ける幸運もあり、なんとかいい結果が出せればいいな、と思っています。天候は(Kさんからの案内には「雨天決行」とありました)穏やかそうなので「波の華」はあまり期待できないかも。

フットパスはイギリスで歩いてきたので、それとの差についても何か指摘できることがあるでしょう。さて、画像はどこにいったかな?

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2013年

12月

21日

カレー粉と肉エキス②

肉エキスのリービッヒ、といったらまさかあのリービッヒじゃなかろうね、と思ったらやっぱり冷却器のリービッヒでした。ウルグアイに工場(っつーか、作業場かな)を設けてた、というから結構儲かったのではないでしょうか。

それにしても伊藤鶴吉をはじめ、外人案内業者(ガイド)は何をどうやって外人サンむけの料理を作ってたんでしょうかねー。ここはN嬢と情報交換せねばなりませぬのー。

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2013年

12月

18日

カレー粉と肉エキス①

12月8日に厚木の松蔭大学で日本観光研究学会があり、そこで4年ぶりに慶應の院生の御嬢さん(N嬢としときまス)に再開。情報交換ができました。若い、熱心な学徒とは話が弾みますワイ。彼女の書いたエッセーに、マレーのハンドブックに日本国内を旅行するのに、カレー粉を持参すると具合がよろしい、てなことが書かれてるそうなので自前の3版を見ると、載ってない。お尋ねすると4版以降に載っているとのこと。「リービッヒの肉エキス」ばかり頭にあったので、ちょいと驚きでした。なんか、今のふりかけのようなつもりだったんでしょうか。うどんにカレー粉をふりかけて、「カレーうどん」、ってか。するとあれは外人サンの発明品?

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2013年

11月

26日

シティカレッジで観光学を③

後期シラバスです。観光学Ⅱ(日本近代観光史)

①「観光」考(稿じゃなく)、②喜賓会、ジャパン・ツーリスト・ビューロー、國際観光局(1)、③喜賓会、ジャパン・ツーリスト・ビューロー、國際観光局(2)、④日本における外国人リゾート(1)、⑤日本における外国人リゾート(2)、⑥外国人案内業者、⑦通弁巡査、⑧日本海水浴史、⑨村垣淡路守航海日記、⑩ろせった丸、⑪フジヤマ考、⑫ゲイシャ考、⑬丑湯考、⑭客室乗務員、⑮戦時下における旅行制限とガイドブックについて

 

こんなところを考えております。全部研究してきた成果でありますので、聞いてソンはさせません。(おお、なんたる自信)

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2013年

11月

25日

シティカレッジで観光学を②

前期は「観光学Ⅰ」(観光学概論) 短大では1回目をオリエンテーションにしてますが、シティカレッジでは1回目から講義。中間の「理解度チェック小テスト」2回もナシ。こんな具合。

①石川県の観光概観、②「観光」の定義と用例について、③観光の日本史、④観光の世界史、⑤観光と文化、⑥観光資源について、⑦観光の現状(世界における日本の地位)、⑧これからの観光(1)、⑨これからの観光(2)、⑩これからの観光(3)、⑪これからの観光(4)、⑫観光産業(ツーリズム・ビジネス)(1)、⑬観光産業(ツーリズム・ビジネス)(2)、⑭観光と経済、⑮観光とホスピタリティ

 

後期はシティカレッジで観光学を③でご覧くだされ。

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2013年

11月

23日

シティカレッジで観光学を①

来年度、前期・後期に大学コンソーシアム石川の「シティ・カレッジ」で「観光学Ⅰ・Ⅱ」を開講することにしました。無給ですから、別にありがたくもなんともないのですが、まだクビにもならぬのに学校で「観光」を開講できなくなったので新天地を求めたワケでありまス。これぞ「仁義なき戦い」。まあ、それよりもシティ・カレッジの情報を教えて下さった某先生に感謝せねば。

希望(野望?)としては、観光学の開講されない県内の学生と、観光に興味のあるオトナ(ああ、ないヒトはオトナじゃありません)がドッサリ受講してくれんかなー、と思うのですが、さてどうなることやら。シラバス(教科内容)は②に書きます。

 

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2013年

11月

23日

失速気味ながら

これが外国人案内業者5番目の肖像(画像)であります。前回「今年の論文①」を書いた時は4人しか画像がなかったのですが、ヒョンなことから発見しました。いやー、資料は買っておくモンですなー。J. Iguchi氏であります。開誘社のガイドで唯一ドイツ語を話したそうなのでありますが、メンバーには記載なし。


体調不良で観光学会は欠席しましたが、観光研究学会にはちょいとムリして出ます(這ってでも、とまではいかないのですが)。外見(そとみ)は変わらんので同情を引かないのがちと残念。

 

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2013年

11月

01日

蔵書印の貼付場所(考)

(考)というほどのモンじゃないんですが…。なにも表ページ(業界で表1ですナ)に貼るこたァないんじゃないでしょうか。目障りであります、つーか、図書館のセンス(あるならば)を疑うシロモノです。まァ、お借りしたので、「貼りなおせ」とも言えないンですが、こりゃちょっと。

これも含めて、明治から戦前の英文ガイドブックに書かれた金沢(石川)の観光資源についての紀要論文を本日提出しました。いやー、ちょっとシンドかった。図1枚、表3枚以外に16,000字ばかり。できれば手持ちのガイドブック(国会図書館にもないヤツ、もちろん石川県下には存在しないものが9種類)を画像で載せたかったが…。むだにページを食うのでやめときました。そのうち順繰りに掲載いたします。

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2013年

10月

24日

新たな古いガイドブックを見つけました

昭和8(1933)年鉄道省発行のAN OFFICIAL GUIDE TO JAPANであります。例の後藤新平が鉄道院総裁であった時に作らせた「東亜英文旅行案内」の改訂版(日本をメインとした簡略版)ということです。珍しくも金沢大学の図書館から借りたものです(ああ、もちろん四高図書館蔵書ね)。日本の古本屋では絶えて久しく出たことがなく、紀要に載せるためにコピーしまくりました。あー、疲れた。「東亜英文旅行案内」は、まあひどいシロモノでありまして、金沢の箇所はのっけから「Hokuroku Line」まあ、読めんことはないけど北陸をホクロクと読まんでも…。浅野川は2回出てるが、ともに「AMANOGAWA」。どこの川じゃ。兼六園が日本三名園なのはイイが残りが後楽園と栗林公園!そのうえ「KURIBAYASHI KOEN」ときたもんだ。その程度で「世界に冠たる」などとホザイテいたらしい。この改訂版には水戸の偕楽園が記載されておりマス。ちょっと気になるのが両版ともに上杉謙信が卯辰山に城を築いたように書かれてあることで、ホンマカイナと思った次第。

 

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2013年

10月

17日

ガイドの肖像

12月の観光研究学会で発表する原稿がほぼ仕上がりました。「外国人案内業者に関する新たな知見について―ガイドの画像と外国人の記述から―」計5名分の画像を発表します。前回このブログに書いたときには4名だったものが1名追加。昨年12月には2名しか把握していなかったのに、われながら大したモンです(と自画自賛)。少々疲れたので11月の観光学会はお休みする予定。

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2013年

9月

12日

唐崎の夜雨(よさめ)②

原文の該当箇所を読んだら、はたして何も記述なし。夜雨(よさめ)はまさに蛇足でありました。ちなみに、「蛇に足があった!」と時々報じられるのはあるモノの見間違いなのだそうであります。(体調不良なのにアホなこと書いてるナー)

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2013年

8月

26日

唐崎の夜雨(からさきのよさめ?)

相変わらずイトー(伊藤鶴吉)さんの足跡を追っかけております。「初期外国人案内業者の研究」というわけです。「シドモア日本紀行」(原題 Jinrikisha Days in Japan)に少し関連記事が出ているので参考資料にしようと思ってちょいと読んでいると近江八景が出てまいりました。トップは三井の晩鐘(ルビなし)で、フンフンと思ったら次は唐崎の夜雨で(唐崎のよさめ)とわざわざ読み方を書いてある。訳者がアホなのか、校正屋(いくら講談社だっているはずだが)がパーなのかしらんが、幼稚園児よりヒドイ!(滋賀県の幼稚園なら近江八景くらい教えてるんでは?)それとも原文にYOSAMEとなってるのかな、いやいやそれでも直すじゃろ。訳者は1942年東京生まれとなっているから子供の頃に近江八景なんて習ったことがないのかも。可哀そうだねー。

ああ、原書にあたろうと探したらペーパーバックスになってたので早速購入。国会図書館に行くより安い。

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2013年

8月

17日

「回顧録」の怪、あるいは指導力不足

明治期のガイド(外人案内業者)に関する論文で「参考資料」となっていた「回顧録」の作者名に「山中忠雄」とあったのでそればかり探していたが見つからず。それらしい資料をやっと見つけたので必要事項の箇所その他をコピーしたのだが、何のことはない、タイトルに「回顧録」(社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー)となっており、奥付には「編輯、発行者 山中忠雄」となっていたのを山中の名前のみ記載したというわけ。まあ、現在は研究者ではない方に文句を言っても始まらんが、自分だけ研究してるわけじゃないんだから、参考資料くらいしっかり記述してもらいたいもんだ。ナニ、これも指導教官(アンタですよ)がヘボなせい、と言えんこともない。

資料の中身は件の論文にたっぷり引用してあるので、たいして参考にならんが、それでも使える(かもしれん)ものがある。若干、研究が進むことになるのがありがたい。

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2013年

8月

05日

今年の論文①

現在の課題と研究状況および予定掲載誌:

①開墾合資会社の研究、特に命名考と高山開墾合資会社に関する新資料等知見の整理、103回観光学会で発表したものを会誌54号に

②戦前の英文ガイドに表れた金沢(石川を含むか北陸三県に拡げるか)、公開講座「学都石川の才知」(7月6日実施)で講演済のものを論文に。星稜論苑

③明治期の外国人案内業者の画像について、2012年名古屋外国語大学における講演済の資料および1901ブルースターのスクラップブックから新たに採取した2例の画像紹介、および開誘社が明治12年に設立されていなかったことの確証、およびG.Lewisの甲虫採集旅行に同行したと思われる確証等知見の整理。観光研究学会にて発表および論文作成。

④デスティネーション・キャンペーンの研究。県に照会の必要。104回観光学会で発表。学内紀要(経済学部)

⑤馬の海水浴(帝国陸軍資料)の研究、都立公文書館、防衛研等チェック

⑥観光映画の研究

こんなところかな。

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2013年

7月

30日

前期授業終了

あとは、試験を2科目、レポート採点1科目でオシマイ。短大のホテルビジネス受講者と食事をするのが1回。4大のゼミ生と飲み会が1回。その間にアポを3か所取る必要が…。

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2013年

7月

05日

公開講座「学都石川の才知」講演内容できました

マレーのハンドブックの表紙です。実はこれ、1913年発行の9版なんです。手許にあるのは1891年の第3版なんですが、金文字が消えてるので、こっちをパクリました。パワポでおめにかけるだけではちょいとモッタイナイので、金沢では見られない稀覯本を展示することにしました。後期からは国立T大学で非常勤講師をやるので、はずみがつくものと思います。

講演内容は『戦前の英文ガイドブックに見る金沢(石川)の観光資源~金沢は外国人にどのように紹介されていたのか~』であります。主要ネタとしてはマレーのハンドブックと旧JTBのHOW TO SEE KANAZAWAだったんですが、マレーのハンドブックの全体(初版~9版)も紹介したかったし、東亜英文旅行案内もテリーの日本帝国案内も見せにゃなるまい、とて、娘の手を煩わせてコピーを取りまくりました。金沢横浜、金沢東京各1回ずつ出張りました。お蔭で資料はほぼ万全。P/P42枚、シャベリの原稿1万2千字ですからまあ、時間を持て余すことはないでしょう。

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2013年

6月

19日

新しい読者がおいでたようで…

張り切って書かねば。

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2013年

6月

15日

「七つ橋渡り」雑考

1年後の七つ橋渡り。参加者がなんと2倍強。ノリのいい1年生です。今年は、終わってメシ食ってる時に何か話せ、という課題を貰ったので、チョイと勉強しました。三島由紀夫がこの風習を浅草あたりに設定した「橋づくし」なんてのも初めて読みました。(昭和31年だけに、大した作品じゃない)それでも、これを「母方が金沢だから」と牽強付会のアホ説を唱える面々がいるらしいので、学生相手に粉砕してまいりました。

七つ橋を七つ箸にした企画屋さんもいて、金沢も捨てたもんじゃねぇ、と思った次第。

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2013年

5月

20日

海水浴執筆に着手②

新しい「獣医学史」に期待してたら、「残念」でした。でも参考文献がどっさり掲載されてるので、まあいいか。

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2013年

5月

16日

「海水浴」執筆に着手①

T都M区役所からの問い合わせで資料をひっくり返していたら、やおら執筆欲が湧いてまいりました。とりあえず、寓居に移していた海水浴のファイル12冊(A2用の図面ファイルです。資料保管に極めてグー)を共同研究室に持ち込みました。馬の海水浴も資料として採用するために、目下「日本獣医学史」を読んでおります。4千円で1カ所しか参考になるとこがなかったけど、もう一冊に期待しよう。

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2013年

5月

13日

ブータン旅行記(その3)

須弥山の図だそうであります。まあ、一般人よりは仏典も齧ってるし、わかるつもりでいたのがまったく解っていなかったのがちょいとショックであります。ブータンの仏教が大乗仏教だなんて帰国してチェックするまで解ってなかった。チベット仏教についても事前におさらいをしていくつもりだったのが、全く身近に資料がなく(と言い訳しときます)、知識をひけらかすことができなんだのが残念。

しかしまー、あんなキンキラキン(熊本民謡でなく)な仏様が同系だと仰せられても、ねー。ま、確かに東大寺の毘盧遮那仏も創建当時は金メッキでぴかぴかだったらしいモンね。

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2013年

5月

08日

ブータン旅行記(その2)

ブータン三毛猫
ブータン三毛猫

現地最終日マイナス1日。「虎の巣」とかいう高地の寺院へのトレッキングの途中でへばって第一休憩所でリタイアしたときの癒し猫であります。やたら軽く、かつ愛想がイイ。ウチの猫が見たら妬くだろうなァ。

どうも熱が出たらしく、足腰が不調なのでリタイアしたのでありますが、そこはそれ、転んでもタタは起きない。幾つかの動物写真を撮りました。F/Bのがそれであります。F/Bの猫はゴミ箱の上を徘徊していたヤツですが、ナニ、わかりゃせんやろー、とて掲載したもの(果たして、ゴミ漁りかよ、との声は聞かれませんナ)。

(その3へ続く)

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2013年

5月

08日

ブータン旅行記(その1)

「これでどや!」、とは書いたものの、どっちのお寺だったかすぐにはわからないのが情けない。昨年度の終わりころ、姉からブータン行のリクエストがあったのではありますが、期末の忙しい時期(研究室も個人から共同に移らねばならず、アホな「研究成果報告会」もやり、保護者相談会にも出、義歯も作り、移民資料も拝見せねばならず、なんだかむやみと忙しくしておりました。)なのでぎりぎりに申し込んだら、JTBは参加者少数のため催行せず(チェッ)、スケジュールに合わせて某「風の旅行社」なんぞというところに申し込んだ次第。結果的にはこれが大ヒット!学校の10連休を丸々使って(ああ、真ん中の平日の年休を2日ばかり加えました)のブータン行となりました。(前フリ、おしまい。その2に続く)

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2013年

4月

17日

ヴァン・リードの「商用会話」入荷しました

お待たせしました。新しいデジカメで慣れていないもんですから、ご勘弁。ムシが喰ってる割によく読めます。ただ、カタカナの読みのほうが難しい。「子」が「ネ」だもン。

Shall we take it to your house today(シャル ウイ テーキ イット ト ユール ハウス トテー)

ワタクシドモ。コンニチ。ソレヲ。アナタノ。イエニ。モッテ。ユキマシャウカ

 

We will be glad to trade with you(ウイ ウイル ビ ゲレーデト テレーデウイス ユー)

ワレワレドモワ。アナタノ。イッショニ。アキナイスルヲ。ヨロコビマス。

 

The Custom House officials will examine it(ゼ コストム ハウス ヲフイセルス ウイル エクサミン イット)

ウンジャウショ(運上所!)ノ。ヤクニンワ。ソレヲ。アラタメ。マシャウ。

さすがヨコハマらしく、各地の日本語が飛び交っておるようで、「オカキナサラヌ」の次に「カクコトデケル」ときたもんだ。退屈しない本です。今度の授業に使おう。

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2013年

4月

09日

イトーとLewisの採集旅行

確か、資料が入手できた時にブログに載せたと思ったが、出てこないので再度(のつもり)書き込みを。George Lewisなるアマ昆虫学者が明治14年に伊藤鶴吉を通訳に、小樽から長崎あたりまで昆虫採集をしたらしいのであります。それも甲虫類ばっかし。北大の博物館報に入国・出国の日が自信ありげに書かれているので問い合わせたところ、速攻で回答がありました。ついでにイザベラ・バードのお供のあのイトーがルイスの通訳だったのか、出典は何じゃ、と質問されました。いーねぇ、こういう反応の速いヒトが好きヨ。少々ダンボール箱を引っ掻き回してこちらも回答いたしました。「クロー 日本内陸紀行」というのに出てます。但し、LewisではなくL氏夫妻となっとりまス。(どうも、どこからこの資料に辿りついたんだかよく覚えていない)鶴の字は植物ばっかじゃなく昆虫採集までやっとったんですナー。いやいや、昔の通訳も大変だったのネー。この件については競争相手は他に2人しかいません。京大の金坂と弘大の高畑だったかな。ここらでうんと差をつけとかねば。

 

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2013年

4月

04日

またもや、開墾合資会社

いったい、幾つ書いとんじゃー、というくらい書いたのに、明日は(今日かな)長野の登記所(古い!)で登記簿閲覧。先回はツメが甘かった。明日で決着がつきそうな気はするんですが、さて、どうだろう。

 メンソレの創立者(らしい)が野尻湖開墾合資会社の初代社長であったかなかったか、だけを確認しに長野往復もないモンだけど、ともかくケリをつけなきゃ、ハナシにならんので、行くことにしました。今回は単独行。Good Luck!といきたいとこですが、ネ。

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2013年

3月

31日

すごい!移民資料室(和歌山市民図書館)

夜行バスと南海電車を乗り継いで行った甲斐がありました。実に充実した資料、周囲の理解もあったんでしょうが、資料収集および整理にかける情熱の賜物でしょうな。その方にマンツーマンで2時間余りご説明いただきました。飲む約束をキャンセルしようかと思ったくらい。海外の邦字紙もずいぶんあり、英字紙とは違った研究材料がありそうです。金沢からは若干遠いのがナンですが、泊りがけで読みたい資料が山積みであります。いやー、春休み中に行けてよかった。

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2013年

3月

21日

新しい研究課題②

横浜開港資料館で粘ること半日、収穫あり!1901(明治34)年当時の横浜開誘社のガイドと長崎開通社?のガイドの写真を発見いたしました。これで外人案内業者のお写真が4人分、と倍増であります。Globe Trotterのアルバム(っつーか、スクラップブックとなっております)に載ってました。あと、明治22年に設立された(明治12年、という日本ホテル略史の記述を信用する輩が多いんですが、ありゃ、ウソよ)開誘社には明治25年になっても電話がなかった、ということが判明。(ナニ、当時の電話帳を探しただけですけど、ネ。職業別の区分の中にもありゃしない。クルマ屋でも載ってるのに、ですぞ。外人案内業は職業とみなされてなかったのかも。)

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2013年

3月

20日

新しい研究課題①

いやー、研究費をくれる、っつーんで、泡食って作った研究テーマであります。DC(直流でなく、デスティネーション・キャンペーン)は、前からやってみたかったテーマなんですが、先行研究も少なく(あ、こりゃ、アタシの論文のいつもの前フリです、誰もやってない研究ばっかするモンだから、仕方ないことはアル。)、I県K市には縁のないテーマだったので、これもオモシロイかと考えて小手調べの調査を始めました。なかなか面白い資料が見つかりました。玄人向けの雑誌に載ってたので早速購読することに。でも、つられて旅行に行くのは素人なんだから、もうチョイ露出の(あ、ヘンな意味じゃなく、業界用語でス)多い雑誌に載せてくれりゃイイのに。

 

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2013年

3月

17日

報告会、終了!

ギャラリーは少ない上に、内容の乏しい発表会でありました。あれで研究補助金貰ってるんだったら、来年から「ゼニ返せー!」(あ、こりゃ、露出の少ない場末のストリップの掛け声なんでソーでありまス)のほうがイイ。学生の発表じゃあるまいし、某学長からつまらんイチャモン(としか思えん。アンタも絡んでるのに)つけられるのを恥とすべき(だと思うが、ナー)。

ともかく、「馬鹿の拡大再生論」(ナニ馬鹿が馬鹿を生む、というだけのハナシ)を実感させられた発表会ではありました。でも、発表会やらなかったら、皆、何やってんだろーねー!「カスバ」(っかり)の悲哀を感じた一日でありました。講演会もギャラリーは少なく、割と(おー、久々の褒め言葉)マシな内容(まあ、トシ相応に北陸と三陸をごちゃまぜにしてるトコはあったケド)だったのに、やっぱギャラリーが少ないヨ。サクラはこういう時に使わねば!

 

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2013年

3月

14日

やっと、開墾合資会社

なんだか、「パイプのけむり」みたいになってきたナー。でも、本日、やっと5本目を仕上げましたデス、ハイ。といっても、学内用の報告書でありますから、外部の学会発表用にはも少し書き加えたいところです(それでも1万2千字あったゾ)。ちょうど民法改正案の中に「約款」(ヤッカンデルじゃなく)を加えるなんつーのがあったから、徹底的に宣伝しときました。法学の基礎も知らねェで、約款なんぞ教えるンじゃねェ!ってなモンです。(あ、またウラミを買うのかしら。変なトコに五寸釘打たないでネ)

さて、AJおネェ様、開墾合資会社の解明に納得してもらえるかなー。

 

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2013年

3月

11日

もうちょい!開墾合資会社

発表会用のパワポもできて共同研究者と打合せも終了。あとは、年報用の原稿だけダーイ、と思ってたら、これがなかなか難物。10Pで25字・50行・2段組みだから、頁あたりMAX2500字!6ページってんで1万5千字。ゼミ生だったら失神しまっせ。しかしねー、地方史(or誌)がこんなにイイカゲンなもんだとは思わなんだ(ナニ、半分は思ってた)。

ウソばっかり書いてる、とは言わんが、自分に都合のイイことばっかり書く(悪いことは書かんわナ)もんだから、事実がワカンネェー。こんな資料を金科玉条にして論文書くヤツの気が知れん(あ、いやいや、これが正統派の資料だと信じ込んでるんだもんネ、おお、性善説)。

ああ、そうだ、こんな時には「弦書房」の「本のある生活」を読まねば!畏友(ッつーか、飲み友達)の前山光則氏の随筆です。一読すると、酒が飲みたくなるのでス。お試しあれ!

 

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2013年

3月

09日

まだまだ「開墾合資会社」

報告会だか、研究発表会だかの準備(あ、レジメは出しました)で手間取っております。パワポも7分どおり出来上がってますが、あと少しヒネリを入れて、と。聞いても無駄な(提出レジメではそう思えるが)発表会なら、やめときゃいいのに。それとも、アタシの発表に何かコメントが出るのかな?ま、楽しみにしときまショ。

 

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2013年

3月

04日

ちょっと足踏み、「開墾合資会社」

雑用が入って、足踏みしております。ナニ、研究室を明け渡さなきゃイカンので、片付けの最中(モナカでなく)なのでありまス。手当たり次第状態で運んできた(運ばせた)段ボールを開けて、中身を確認しつつ、ウチ用とガッコ用に仕分けて、それから8階(あ、これが今度の共同研究室、眺めはやたらイイんですが、ジイさんばかり。窓際族の悲哀、ヒワイでなく、を満喫すべく、窓際に席を占めましたです、ハイ。)に運んだり、ウチ(寓居です。愛猫の部屋にデカイ本棚を移設することにしました)に運んだり。

段ボールは愛車(ベンツE430、あ、古いヤツ)に12個は載るんですが、3階まで運ぶと息が切れる、というか汗がー、なので、中身を半分にして階段を昇り降りしておりまス(3階なんですが、結構キツイ)。

3月16日に研究成果報告会、レジメの1枚はさておき、共同研究のレポートは年報に載せるのが6枚(6枚じゃなきゃ、アカンかい?と聞いたら、センセ、6枚になりません?ときたモンだ。よっぽど書けないヤツを相手にしてるようでス。イイヒトなんですが、ネ。アホの見分け方(そういやアホばっかだった)が解ってないみたい。)。縮めるのに苦労してまス。

しかしねェー、60歳を越しても拾ってもらえて、教務も研究もそれなりにこなし、こりゃ、イイ商売でス。3年で論文(と言えるかどーか、は別にして、ネ)12本。昔、年間5本書いてるヤツ見て、ナンでこんなに書けるんや、と思ったモンでしたが、結構書けるモンです(あ、アヤツは学生の名前が結構入ってましたが、アタシ、すべて単独です。すごくない?)

 

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2013年

2月

28日

完成間近、「開墾合資会社」

学内共同研究の、「法学と観光学のコラボ」がまもなく完成であります。申請当初は(申請後も)研究費をチョロまかすんか、と思われていたようで…。そんなセコイことするかい、阿呆たれが!

十勝だけでなく、ほぼ同時期に「美濃開墾合資会社」というのも存在したらしく、士幌町(あ、北海道ネ)に問い合わせたところ(メールで)電話をもらいました。古い資料をあたってくれたらしい。真面目な方々でありました。ありがたいですな。

 ともかく、なぜ「開墾」か、なぜ「合資会社」なのかについての解答ができたので、一歩前進といったところですかな。

 

 

 

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2013年

2月

24日

耶蘇考②

主イエス・キリスト(と、まー学生に教える時には敬意を払っております、当たりまへ、アタリメェーだろ、というなかれ。)の墓が青森の五戸の戸来町(エライ、ちゃんと変換した。郵便番号簿程度のアタマはあるな、このワード!)にあると言うんですが、そんなものよりもっとスゴイのが石川県にある。宝達志水町(これも一発で変換できた、まんざらアホでもないわいナー)

なんと「モーセの墓」!約束の地からここまで「天の鳥船」に乗って来たんだとか。もー、「カナン」なんつったら、また殴られるかな?

 

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2013年

2月

24日

耶蘇考①

寡黙な義父(おかげで津軽弁も女言葉しか上達しませんでしたワイ)が時折話してくれた中に、やっぱり耶蘇の話が出てまいりまして。どうも救世軍ではなかろうか、と思うのですが、太鼓叩いて唄を歌って布教してる後ろに悪童どもがくっついていたらしいのであります。「ヤソを信ずる者は、皆救われん」というのを「ヤソを信ずるバカ者は、皆くーたばれー」といっておったんだとか。(ウマイ!っちゃ、殴られるかな?)

大正半ばのオハナシです。(ああ、どこぞのアホたれの観光学の教科書に「大正半ばにブラジル移民の母国観光団」なんて記述がありましたナー。明治末年に入植してるのに、10年も経たんうちに「母国観光団」はないだろう、といつも蹴り倒しておるのですが(「宮さん、許せ!」ナニ、解らん?)、これをまた丸写しにする参考書もあって、困ったモンです。え、編者?なに、某観光大学の客員ハゲ教授ですワイ。

 

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2013年

2月

22日

リゾートと天麩羅

目下、高山(宮城県)と野尻湖の「開墾合資会社」についての論文を書きまくっておるのですが(おかげで飲みに行けやしない、マァ雪もありますけど)、前回の家康と天麩羅で、軽井沢の天麩羅について書いたのを思い出した次第。天麩羅は天麩羅でも「天麩羅耶蘇」というヤツであります。軽井沢町誌にきわめて悪意に満ちた(きっとヤソ嫌いだったんでしょうなー)記述があります。ナンでも軽井沢避暑団という団体が(もちろん、ガイジンさん中心)組織され、それが物価のチェックをしまくったのであります(まあ、物価高騰で野尻湖に脱出、あ、これもエクソダス?した面々もおられたことなので、わからんでもないのですが)。ついでに、日曜日は安息日だ、ってんで店舗に休業を義務付け、従わない店からは買わない、っていう今ならさしずめ「不買運動」をやったらしい。おかげで表面上は耶蘇信者になった連中がいて、それを「天麩羅耶蘇」と呼んだのだそうでアリマス。(馬鹿だねェ、「開店休業」って札でもブラ下げて置きャー、よかったんじゃない?)

 

 

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2013年

2月

20日

家康と天麩羅②

いやー、「家康の死因」を読んでびっくり!当時の在日耶蘇坊主どもは、みんな家康が一服盛られたと思っていたらしい。そう簡単に毒殺されるほどのタマじゃない、と思わんかったのかネー。第一、毒がそんなになかろうが。河豚はないだろうし、斑猫もまだなかろう、石見銀山もちょいと早い。元気なジイさんがくたばったので、てっきり毒だと思ったのかしら、ボルジア家じゃあるまいし。

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2013年

2月

19日

高山外国人避暑地訪問記

「高山」ったって岐阜県とは大違い!宮城県であります。七ヶ浜という町にある、軽井沢とほとんど同じくらい歴史のある外国人専用リゾートなんです。現在は日本人も若干所有しているようですが、ま、90数パーセントは外国人。ここが野尻湖とちょっと違う。かような日本家屋(いやー、釉薬のかかった瓦には感激しました)が何十戸もあったんでしょうなー。(現在は若干洋風なのが増えていると思われますが。)高台だけに3.11の津波の被害も少なく、他人事ながらほっとしました。(なくなってたら研究対象にならんもんね)

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2013年

2月

17日

高山ビーチカンパニー潜入記?

潜入記になるところが、見学記になってしまいました。七ヶ浜町の高山開墾合資会社には知己がおらず、冬季でもあり、見学不可能ならせめて写真でもと(盗撮ですな)TAKAYAMA BEACH COMPANYの看板のある敷地に侵入、たちまち若いアンチャンに咎められました。そこから話が急転回(コッチの方がピッタリ)。事情を説明し、取材もしくは建物の写真が撮りたいと話したところ、「ちょっと待て、話をしてみる。」とのことで、待つことしばし。来い、という電話が入ったのでおっかなびっくり訪ねてみると、件のアンチャンと老人が待ってました。立ち話でインタビューすることに。来訪の事情を説明すると、老人の方がアンチャンに「案内してやれ」ってな具合になって案内してもらった次第。実にハッピーでありました。

高山に3地区あって、高山・中山・遠山のうち遠山にあたる区画だと思われますが、まず観光学関係者でここに来た者はおらんでしょう。(レポート、ないモン。野尻湖でもそうだったけど、内部を案内してもらった記録は素人サンしかないのであります。何たる幸運!)アンチャンに案内してもらって、古い建物(それでも外人別荘地でありますゾ)の写真を幾つか撮り、最後に論文が書けたら送るよね、ってな話でアンチャンの住所氏名を尋ねたところ、同じ姓のヒトが開墾合資会社の社員であることが判明(登記簿謄本を用意しておいてよかった)。「それ、兄です。」と来たモンだ。「もう一人、同じ姓がいない?」と言われて探したら、ナント、さっきの老人が代表社員であることがわかった次第(オトッツァンでした)。いやー、共同研究にしてよかった。こんな幸運はめったにない。その夜は祝杯、いや帰路もずーっと祝杯を挙げたのであります。

 

 

 

 

 

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2013年

2月

09日

珠洲市、ラポルトすずにて

いやー、書き込みしながら(かつ飲みながら)眠りこけて、せっかく書いたのを消してしまいました。学生どもが来られないので、代ウチで発表するハメに。まあ、それはイイとして、昼メシ時にK大学の可愛らしいお嬢さんとお話できたのがハッピー!でありました。やっぱ、迎賓館で叩いたごとく、K大では「観光学」の授業はないのであります。まちおこし、むらおこしを幾つかやってるようなので、せめて「観光学入門」でも「観光学概論」でも講義すればイイのに(あ、人材がおらんカ!)。

 からかってるわけじゃなく(からかってるけど)、基礎は大事だヨ、諸君。

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2013年

1月

30日

しいのき迎賓館で②

どっちかというと最悪に近い天候ではあったものの、聴衆が来られたことにびっくり。大学だったら、大半は来んだろうというコンディションだったのに。まず感謝。原稿もだいぶ加筆しただけあって、P/P操作しながら1時間20分弱で終了。参考に供覧した「國際観光」と「八重」のガイドブック(兄貴の山本覚馬が書いて八重が活字を拾ったという英文京都ガイド)がけっこう人気。(これこれ、夢中になって、話をいい加減に聴いてたナ)小物は必要でス。

質問3つにも間髪をいれず回答できたので、これも問題なし。従来の講座の内容とはガラリと変えてのものだった(「まちづくり」ばっかりやってた)だけに(というか、「観光学」のない土地柄だから)だけに食いつきがどうか、と思っていたが、やっぱ「百万石」のイメージを引きずっていて、オモシロい反応でありました。健在なり、「加賀乞食」。あ、悪いイメージじゃなくて、おっとり、というイメージを強調したんですけど、ね。それには概ねご納得の表情であられたので、笑いそうになった、とは内緒の話(一応、聴衆の反応は見ながら話はしてるんでス)。次回もお座敷がかかるとイイんですが。大分コンソーシアムをコキおろしたから、どうかなー。

 

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2013年

1月

25日

しいのき迎賓館で①

講演(講義)をすることに。変なタイトルがついてるのでやりにくくはありますが、まあ、県内デビュー戦であります。しゃべりまくってくるかな。

 

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2013年

1月

13日

家康と天麩羅①

静岡で懇意にしていただいた天文(てんぶん、天麩羅屋のぶんちゃん、創業160年!の天麩羅・鰻屋さん、慶応卒)さんからご下問がありました。ナンでも、家康の食った天麩羅を再現するのだとか。2016年が家康没後400年のようで、オモシロソーなので乗ることに。wikipediaを紹介したのですが、それじゃあんまりヨ、ということで業界(あ、学界です)誌を漁ると、出てきました、「家康の死因について」なんていう論文が。さっそく購入してみることに。いやー、やっぱり世の中、いろんな研究をしてる方がいらっしゃるようで。さて、ご下問にお答えするには、何を調べにゃならんのか。食物史、料理史、徳川実記、三河物語、あとは何かなー。そうだ、「築地魚河岸三代目」(あ、漫画です、オモシロイよ。昔と違って、最近の漫画家には知恵袋が2,3人ついてるので。ナニ、知恵袋ったって、知恵があるワケじゃありません、ただの資料さがし。それでも、ヘボな時代小説よりは相当マシ。)もおススメしなくては。

 

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2013年

1月

04日

新年早々

年末年始と寝転がって「コロンボ」を観ています。これがホントの寝コロンボ!いやいや、そうじゃなく。セリフ(勿論、和訳です)の中に気になるお言葉が…。殺人犯の女不動産屋のハナシの中で、安い建売を「文化住宅」とのたまっておったので、びっくり仰天。いまどき、こんなボキャブラリーが使える人間が生きてるとは思わなかった。少なくともコテコテの関西人以外、しかも70歳以上でないとわからんでしょうなー。ワタシ、中京人ですが、文化鍋・文化包丁までは見たことはありますが、文化住宅は見たことない。名古屋圏には存在しなかったモンであります。

びっくりして、今年初めてブログを。書初めであります。22日に頼まれてオハナシを26日には県民の皆様の前で観光学のオハナシをするので、草稿を準備せねば。もっとも、小松空港でクルマを雪から掘り出さなきゃならんかも。

 

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2012年

12月

16日

学会雑感

いやいや、トリの発表で時間的には楽であったが、ギャラリーが少なく、ナンか意図的なものを感じたのであります。同室の発表者の中で、チョイと気になるヒトが(いやいや、美形とかそんなんじゃなく)。どうも江戸時代には庶民が(だいたい町民ですから、その日暮らし。宵越しのゼニは持たネェ、じゃなく、持ってねェ連中)湯治に出かけたりしてた、と誤解しているフシがありあり。Facebookにも書きますが、貧乏人が湯治に行ったら干乾しになること がまるでわかってない。たぶん、センセイが悪いんだろうね、あのハゲ。指導教官の言うことを大人しく聞いておかないと、まあヤバイことになるのはわかるんですが、基本が理解できていないのは、ちょいと困る。ハゲの意見に縛られると論理まで無毛(いや、不毛だったか)になるのでは?

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2012年

12月

04日

やっとカタがついて

論文4本、講演1本が終了。今年中にやるのは、高校の出前授業2コマだけ、と思ってたら、来年の研究費をやるから申請しろ、という有難いようなどうでもイイようなオハナシが。しょうがないので書類の作成にかかることに。なんか、申請しないと「ネタ切れかヨ」と思われそうなのもシャクなので明日1日かけて申請することに。ヤレヤレ。R大学の出版物に共同研究の成果を掲載しようとしたら、原稿出してから掲載されるまで1年かかることが判明して、やめようか、と。よっぽど査読ができるヤツがいないのネ。それともそんなに忙しい?イヤイヤ、そんな訳、ないね。能力不足なんでしょうね。馬鹿馬鹿しいから、よその学会誌で発表することにしました。これなら半年で済むもんネ。なるほど、金取られて、待たされて、修正要求されてたアホがグズる訳だ。同情?しない。

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2012年

11月

28日

準備、OK

これが、「ハコダテ」こと、堀辰次郎の画像であります。撮影は明治15年、場所は厳島神社、撮影者は臼井秀三郎。と説明ができるのも偶然の産物(ナニ、謙遜ですワ)。ハコダテ=堀と言うのはマレーのハンドブック第3版(1891)を見なけりゃわからない。でも、見たからって分かるモンでもないワケ。これを引っ提げて、名古屋で講演するというハナシであるのです。伊藤鶴吉の画像は少し世に出てますが、こっちは知られてません。私のようなヒマ人がいなかったら、こいつも埋もれてたんでしょうなー。

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2012年

11月

22日

あと、一週間!

さて、来週は、12月1日に名古屋で講演(のようなオハナシ)、それが終わって仙台に行こうと思いましたが、翌日の発表が一番最後の組、の一番最後だったので、東京で一泊することに。明日からの連休で、それぞれのパワポを仕上げることにします。O観光大学の紀要の初校があがってきたので(なんと、昨年より3頁増!)それも片付けねば。12月1日のタイトルは「初期外国人案内業者の風采について」(あ、これサブタイトル。メインタイトルは別。)なので、目下化粧品の調査などいたしております。10間先まで匂う(より臭う、かな)ポマードをぬたくったおアニィーさんを再現できるかどうか。でも、過去の研究の中で使えるネタが結構あるので、抱腹絶倒のオハナシになるんではないかと考えております。審査結果発表前の重苦しい雰囲気をブレイクできるかな。あ、学会発表もあったけど、これは質問できるタマがいないので(多分)しゃべりっぱなしでいいんじゃないか、と思う次第。

 

 

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2012年

11月

13日

戦時下のガイドブック④完成

昨日、ようやく完成しました。写真4葉は印刷屋と相談が必要ですが、ま、これで今年は4本目が完成。「海水浴+しほゆあみ」、「國際観光局の観光映画」、「海外におけるゲイシャのイメージ」、「戦時下の旅行制限とガイドブック」まあ、次から次へとよく書けるモンです。

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2012年

11月

05日

戦時下のガイドブック③

お蔭様で(かどうかは知らねども)どうにか、カッコがついてきました。「旅」の後追いじゃない、モノホンの旅行制限および運賃値上げはほぼまとめあげ、目下ガイドブックも九分通り仕上がりました。あとは、修学旅行を書き加えて、なんとか締切までには完成だーい。これがすんだら、往時のガイドの風采についてのP/Pと仙台での研究発表用のP/Pを作成にかからねば。それにしても、順番を一番最後に回しやがったのは、何か魂胆でもあるのかな。ヴーゼット、コンタン?なんちって。

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2012年

10月

31日

戦時下のガイドブック②

「旅」ばっかりで片付けようなんて気を起こすから、あんなツマラン論文になったのネ。目下、先行研究(と言えるほどのモンではないけど、一応アタシよりは先に手つけた、ということで)の洗い直しをやってるんですが、さあ大変。「写真週報」なるプロパガンダ雑誌が出てまいりました。早速注文済み。もちろん、先行研究には言及一行もなし(アホだもん)。

さらに、昭和19年3月14日まで、旅行制限などなかった、ということも発覚!「察する」文化に毒されておったのでしょうか。世の中、そんなに甘かーねーゾ!、というか一般ピープル(パンピー、ですナ)のババイロの根性にゃ負けますワ。なんせ、「贅沢は敵だ」、というのに一言加えて「贅沢は『素』敵だ」と書くくらいだから。

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2012年

10月

28日

戦時下のガイドブック①

戦時下の旅行制限については昨年ツマラン発表を聞いた(見た)ので、それよりはマシなものを書くつもりです。学園祭やってる最中に書いてるので資料を研究室から抱えて職員室に籠っております。JTBの70年史と50年史を参考にするつもりだったのが、結局使えるのは50年史だけでした。なんで、70年史になるとこんなに質が落ちるのか。NYKでもそうでしたが、どうも中だるみしてるのか、編纂室の質が悪いのか、役に立たんシロモノが多い。

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2012年

10月

26日

ゲイシャ、完成

完成と言えるほどのデキではありませんが(謙遜)なんとか完成に漕ぎつけました。当面の目標であった、セントルイス万博のアホ論文をシバキ倒したので、まあ、良しといたしましょう。日露戦争の真っただ中で、船会社は全部召し上げられてるのに、アメリカ船を値切りまくって万博の荷物を全部輸送し、イメージ向上のためにルーズベルトに「武士道」を読ませて、かたわら債券を売ってるのに、何が「ゲイシャで日本のイメージ形成」だ、馬鹿言っちゃいかん。平和ボケするとこんな論文までネットに載るから怖い(選ぶ方も選ぶ方だけど、ネ)。でも、いろいろ勉強になりました。三田村鳶魚の「江戸芸者の研究」も読んだし(いやー、読みにくい文章でした。オッサン、博識だったけどあまりアタマがよくなかったと見える。)、買い集めた本の棚卸の感がありまス。ゲイシャとペリクレスの愛人、アスパシアの対比が気に入りました。立教の総理、イキなこと言うじゃないの。

 

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2012年

10月

19日

奄美のお仕事!桜マラソン!

2013年は奄美の桜マラソン(ハーフ)で幕開けとまいりましょう。沿道ではばーちゃんがチヂン(太鼓、ツヅミからの転訛)で応援してくれます。(ちなみに、私、金もらっても走るのは、嫌!)

マラソンはともかく、奄美よいとこ、一度はおいで!何がいいって、すべてイイ!海は、沖縄がビーチなら、ここは「浜辺」だぜィ。ビーチソングならアホみたいだけど、浜辺の歌なら郷愁さ。「タラソ竜宮」なんて名前はひどいが中身は絶!露天風呂めぐりなんぞ、ヤメナハレ、と言いたくなるような楽しさがここにはある。島唄もウチナーヤマトグチなんぞでない、モノホンの、歌垣の再現がある!飛鳥だ、奈良だ。奄美に来なくて日本文化の源流がわかるか!(とは言い過ぎでなく、実感です)

 

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2012年

10月

17日

ゲイシャ論(本道)

セントルイス万博で日本政府がパンフレットにゲイシャを刷って宣伝にこれ努めていた、という何ともウソ臭い論文を確かめようと、昨日からクロニクリング・アメリカというデータベースを読んでおります。1903年にものすごくオモシロイ記事が。なんと、GEISHA GIRLなる3歳の牝馬が頻出してくるのであります。戦績などはまだ調べていませんが、実況中継(があったら)ではアナは何て絶叫したんでしょうかネ。「ゲイシャ・ガール、逃げております。逃げるゲイシャ、ゲイシャ逃げる、ゲイシャ逃げる」なんてったら、日本じゃ抱腹絶倒になったと思うんですがネ。1904年は目下チェック中なんですが、1905年あたりではゲイシャなんていうウェイスト・コート(胴衣、つーか)やら、匂い袋やら、扇子やら下着やら、いっぱい出てきております。とてもフジヤマ化粧水なんぞの比ではありませぬ。さあ、明日は朝からゲイシャ三昧だーい!

 

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2012年

10月

02日

ゲイシャ論(横道)

ちょいと思いついて(ナニ、戦後すぐの国会答弁の中に「外国航空会社の日本案内にはゲイシャが書かれとるゾ」という発言なんですがネ)外国航空会社の日本路線のポスターをチェックしてみたら、サア大変。ゲイシャだらけじゃあーりませんか。14枚くらいチェックしたんですが、SASの1960年のオネーさんが一番イロッぽい。地球を手玉にとって、左30度に流し目でっせ。あたシャ金沢でこんな目つきするオネーさん、見たことない(笑)。SRの1963年モノはJALが少しあとで出した松園の図柄と同じもの、お互い(つーか、JALは昔からぬかりがあったのネ)知らんかったのかな。ま、「外国でイメージされてるゲーシャ」がテーマでありますから、これも大いに参考にさせていただきますがね、ちょっとオドロキでした。BAの資料が結構多いので、お好きな方はお試しください。ハマること、請け合いです。アタシも好きねェー。

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2012年

9月

30日

國際觀光局の観光映画④(オシマイ)

本日、やっと完成しました。4ページ、ぎっしりで6,800字。あとは年代と漢字の変換ミスをチェックするのが残ってます。娘がそばにいたら、アルバイトでやらせるんですが、残念ながら。それでも、映画のタイトル数だけで従来の資料の4割増しになりました。本文にも書いたんですが、観光映画に関する公文書がヒトツもない!のはどういうわけ?いや、ちゃんと調べてますから、鉄道省國際觀光局関係の文書はあるにはあるんです、ケド全部人事関係のモノばかり。よっぽど「戦争協力」と言われるのが怖かったのかしら。それとも進駐軍(ナツカシー)がかっさらっていったのでありましょうか。何年もかかって貯めこんだ資料がやっと使えました。こいつを科研費に応募していたら、また今年も発表の機会をなくすもんネー。皆に知ってもらわねば。

 さあ、机の上を片付けて、ゲイシャの準備だーっ。

 

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2012年

9月

29日

國際観光局の映画③

どうにかカッコがついてきました。(ちょっくらちょいとパーには、なりゃしません、ハイ)年代別、㎜別、言語別の表を作り直したら疲れました。それでも一覧表で把握できるのはありがたい(自分に感謝!)。それにしても、英独仏はおろか西、伊、中(支とありますが、現代風にしました)、はては馬(馬来、マレー語)、泰(タイ語)、タガログ語、安南(まあ、ベトナムか)語まで出るに及んでは、先人の気配り(なのか、気づきなのか、アタマなのか)にはマイッタ、マイッタ。

さて、これでタイトルと本数を確定して、あとは製作の意図を書き込んで、文化人による批評を付け加え、まとめと今後の課題、注と参考文献をいれたたら出来上がり。さあ、ゲイシャが待ってるゾー!

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2012年

9月

22日

読者が一人減りました

朝まで会の中核(派じゃありません、念のため)、中M氏が逝かれました。何でじゃー、と言いたいところなんですが、それはおいといて。アイデアもヘッタクレもない金沢の観光(これは正論ですゾ)を憂いていた貴重な人材(と貴重な師匠)がいなくなりました。これで金沢の観光は5年は停滞するでしょう。彼の前では、金沢がいかにつまらない町であるかを力説(基本的には、それは今も変わりませんが)していたのが、伝わる人間がいなくなってつくづく残念に思います。

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2012年

9月

16日

あら不思議!

今年は講演のクチが2つもまいりました、これも御仏のお導き、有難いことでございます(と敬虔なブッディストとしては言っておかねば)。一つは「昔の」ガイド(外奴なんて揶揄されていた、と国会答弁にありますです、ハイ)について。もう一つは「学都○○の才知」(オコガマシイ、と感じたアナタ、健全な常識人です) から来た「学都○○の観光学への挑戦」というあら不思議!なタイトルであります。「…、への挑戦」(そのむかし、二段に分けて書かれたために「××大学、への期待」で盲腸の術後の期待を書いた受験生がいたそうですが(アタシなら特待生にしたいが、標準的には不合格でしょうね。)、これは学都が「観光学」に挑戦しとるんですかいノー。上等じゃナイの。イヤイヤ、そうヒネクレんでも、「観光学」に挑戦しようとの意気込みなんですかナ、といい方に(いいように)解釈してお引き受けいたします。で、今までの「○○学」の内容を総ざらい(イヤ、久しぶり)したら、各論ばかりで「観光総論」がないので、ここいらへんをやってみようと思います。少しは知的な講演を、と期待して来られる方にサービスしなくちゃ。

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2012年

9月

14日

能登の「雲助」

「瀬戸の花嫁」と語呂はあっておりますが、中身は大違い。復刻版「旅」、昭和9年11月号、P91「旅のお半と長右衛門」(三角寛)に穴水駅前の乗合自動車の運転手の乱暴さを書いているのですが、「客を取ってしまへば、あとは俺のものだといふ腹が質朴だけに露骨である。(中略)まるで雲助のやうなやり方だと思った。」とあります。「質朴だけに」とは言いえて妙。

同じ号のP81にもっとスゴイのがあります。「こっちがお客だかあっちがお客だか何だかわかりはしない。鉄道や船の従業員は近頃そのサーヴィス振りは実にどこもよくなったが、恐ろしくサーヴィスの悪いのは航空会社の従業員だ。まるで大官のやうにおさまってゐて不親切以上に横柄無礼だ。それでも日本航空会社はまだいい。満洲航空会社ときたらたまらない。」とは子爵・三島章道。航空会社でメシ食ってただけに、かような記事(いやー、初めて読んだ!)を見ると内心忸怩たるものがあるのです、ハイ。

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2012年

9月

12日

國際観光局の観光映画②

英文のタイトルをつけなきゃならんので「観光映画」って何つーんだっけ、と考えあぐねた結果Googleでひいたら「Tourism Film」というのが出てきたのでこれにしました。戦前のフィッツパトリックなどはTravel Filmなどと書いておるのですが、やっぱTourismのほうが、らしいやと思ってこっちにします。ところでCIFFTなる団体で毎年観光映画(Tourism Film)のフェスティバルをやってるらしいのでありますが、日本はメンバーに入っておらん様子。UNWTOもPATAも協賛(かな、Endorsed byと書いてある)してるのに。あ、参加は別に観光後進国じゃないですよ。 2011年(23rd)のグランプリはメキシコ(観光客数は日本の3倍ね)、その他オーストリア(同3倍)、ポーランド(同約2倍)、ハンガリー(同約1.33倍)などなど。この国にしてこの努力!尖閣も竹島も観光映画に仕立てて、「こんなイイ環境のところなので、近隣が不法占拠したり、横車を押したりしてるんですよ。皆さん、見に来てェ。」と東京ローズ(ナニ、知らない?)ばりのナレーションを入れて出品したらどんなもんかしら。

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2012年

9月

11日

國際観光局の観光映画①

を今年の研究学会(in Sendai)で発表することにしました。毎年科研費に出しては落ちてたので、世人に知らしめようと思い立ったしだい。矢先に、「國際観光」が4冊も売りに出たので、買ったところが大間違い(炊事洗濯まるでだめー、じゃなく)謳い文句に「國際観光協会」と書いてあったのに届いたのは「國際観光株式会社」となってるシロモノ。ナメたらあかんゼ、古本屋!

以前にも英語版というのを買ってみたらドイツ語版というのもあったが、まあ、これは許した。今回のは気に入りませんなー。何年商売やっとんじゃー、と言われてもしかたなかろう?

まあ、こんな会社が同じタイトルの雑誌を出していたことがわかっただけが収穫か、というところです。さあ、お仕事お仕事。

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2012年

8月

30日

「ゲイシャ」資料収集①

久々の国会図書館で資料収集!義歯の修理(ああ、トシですなー)で先回来たのが3月末でしたから、なんと5か月ぶり。英独仏の百科事典からゲイシャをコピーしてきました。なかなかよくまとまってます。さらにヨミダス歴史館から「ゲイシャ」20件を印刷してきました。フジヤマと同様、外国人(ガイジン)関連の記事が圧倒的。

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2012年

8月

25日

韓国での学会が

ようやく終わり、3週連続出張のケリがつきました。夜行列車が姿を消したおかげで、金沢(サンダーバード)・京都(ムーンライト、夜行バス)・博多(ビートル)・釜山とややこしい乗継でした。帰路は全州午前3時(唄じゃなく)のリムジンバスでソウル着06:00(07:00の筈だったけど)09:10発のKE便で小松着11時過ぎ。特急バスで金沢の自宅には12時着。AIR・SEAの好例として授業に使おう。

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2012年

8月

15日

今週は野尻湖です

やっぱ法律家が同行してくれるのはありがたい。法務局でN開墾合資会社の資料もなんなく取れたし、施設見学もバッチリ!元村長さんのご案内で村内施設をくまなく歩いてまいりました。これで今回の出張の目的は完璧に遂行したことになります。あとはとりまとめになりますが、法的側面はKセンセイにお任せするとして、当方は大正10年当時の基督教各派の分布図を作成せにゃならんと思っております。これが今回の共同研究の柱でもあると考えるので。あとは、T開墾合資会社の資料を待つばかり。

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2012年

8月

12日

穴水調査その①終了

8月9・10の両日で第1回目の調査を終えました。当初5か所を予定したのですが、結局7か所を見学。学生の評価はこれから集計しますが、さて、どうなることやら。予算がついたお蔭でもう1回調査ができますが、いずれにせよ、若い感性で現地に刺激を与えられると思います。来年2月の発表会が楽しみです。(気が早いかも)

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