2011年

12月

27日

冬支度⑥アンドおしまい

23日に届く筈の紀要の校正刷り(あ、フジヤマの分です)がやっと本日(26日)に届きました。京都発22日、まあ、土日をはさんでのこともありますがネ、4日もかかってご到着かい。(しかも表書きに「高速道路の事故により」なんて言い訳が。どうも3日くらい道路が閉鎖されてたと思われます。田舎って、ヤーネー。)イヤイヤ、先日も、翌日に届くハズの本が3日後に届く、というテイタラクがあったモンで、某宅配便の支社長を締め上げちゃいましたケド、ここいらへんの大学って、土日は全部オヤスミらしい。でもね、それこそ表書きに配達日が記されていたら、マジかよー、って思いながら一応配達するのがスジじゃない?あ、土日が休みのトコだから、月曜の朝イチに届けてあげよう、っていうホスピタリティ(どうもイナカのヒトはこれを全部「おもてなし」と訳すンです。)かな。

 クリスマスも過ぎたというのに、朝からセンター入試の大説明会。要点だけで十分(あ、分からないヒトが多いか)なのにくどイ!ま、トラブルがあってからでは遅いので、しかたないと思うけど。ノッケから試験当日の駐車場の説明ときたもんだ。そんな説明するくらいなら、十分なスペースを確保しとけばイイのに。本末転倒(あ、確かにコロンでますなー)のキワミであります、ハイ。

 

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2011年

12月

21日

冬支度⑤

イヤイヤ、冬支度のハナシにちっともなりませんが、学校の植木が雪吊りで飾られてるのは風情があってイイもんでス。ご近所でも雪吊りやってるトコは極めて少なく、見るたびに「金持ちヤナー」と思うのであります。因みに「ゆきづり」を変換すると「雪釣り」になり、ま、これも風情あるコトバなんですけどね、「雪吊り」がまだ日本語になっとらん。(え、雪釣り知らない?そりゃボキャ貧よ。ヒモ、わらしべ、え、これもワカラン?に雪玉をつけ、新雪にくっつけて太らせる、いわばヒモツキ雪だるまデンがな)

金沢の某パティシエの御作品に「YUKIZURI」っつーのがありますが、これはちとマズイ!変換してごらんなさい、「行きずり」にしかならン。外国人がヘンに期待するじゃないの(考えすぎ?) 

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2011年

12月

21日

冬支度④

ナンか、来年のJRのダイヤが出てましたけど、「日本海」も「きたぐに」もなくなるらしい。夜行列車で金沢に出這入りができなくなりますナー。ますます陸の孤島(あ、知的資料に関しては、とっくに孤島、いや砂漠かも)になりそうなご当地であります。来春から新幹線開業まで、夜のアシはバスだけですか。もっとも、共同研究の予算作成で、仙台まで資料探しにいくのに、夜行のバスしかないのにはオドロキましたけどネ(学校の規定でヒコーキは使えない、ま、運休してるけど、あ、来年の某学会が仙台であるんだった。これも夜行のバスかい。試算じゃ、QKWからSDJまで片道6時間くらいかかるんデス。外国行くより国内出張のホウが時間がかかるのは困る、ナニ、行かなきゃイイって?そうはイカン。)

来年度は新たに「観光地振興論」(アタシャ、「観光まちづくり」にシナッセって言ったんですが、どうもアカデミズムに似合わんかったようでス)と「CS実践論」を開講します。後者については本日(あ、もう昨日か)某学長からご下問がありまして、「ホスピタリティ」とどう違うか、とノタマワレた次第。前に説明したと思ったけど覚えの悪いオッサンだネー(あ、トシはアタシより若いハズ)。大体、発案者がアタシなんだから、同じ内容でやるわけないジャン!どうも自分の(カラッポの)アタマで判断しようとするヒトが多くて困りまス。

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2011年

12月

19日

冬支度③

Nくん、「観光列車」は英語圏にもありましたゾ。Tourist Trainというので明治末期に出てます。どこに出てるかって、そりゃアナタ、聞いてくれなきゃ教えない(センセーってのは、こんな具合に学生、あ、Nくん、院生ネ、をイビるンですかね)、観光列車転覆、十数人死亡なんて記事でした。

さて、転寝(ゴロネじゃない、っつーの)から目覚めましたので、少し書きますか。27日締切の単独研究のテーマを決めねば。

 

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12月

19日

冬支度②

ああ、このブログは観光に関してのモノでありますから、それに関係ないモノはなるべく書かないようにしてるのでス。でも、結構ネタが不足(すなわち勉強不足)するモンですネ。今年も新たに「通弁巡査」ナンカに取り組んでみましたが、「通訳の親玉」!伊藤鶴吉に関しては発表する機会がありませんでした。一応チェックはしたんですヨ。ただ、論文のネタにはならず、駄文のネタが拾えたくらいなので書きませんでした。ナンなら来年の研究ネタにするかナ。

 ネタ、と言えば、来年のネタは戦前の観光映画(これはマー、科研費のネタ)、さらには開墾合資会社(学内共同研究のネタ)、あとは鶴吉にするかな。戦中の旅行に関する研究(イヤー、今年の研究発表はヒドかった。戦時体制になると、皆おとなしく旅行を控えたか、姑息な手段ですり抜けた、という2本の発表があったンですが、昭和18年まで修学旅行をやってた、というところまで言及できてない。勉強不足は否めません。チューターが悪いのかナ)にするか、悩むナー。あ、「観光列車」でもイインですけどね。学会発表したN君の取り組みも悪くはなかったんですが、日本に限定しちゃったンで若干食い足りない。(外国の「観光列車」ってないのかしら。N君、英語嫌いみたいだけど、調べてみませんか?トマス・クックなんかネタにならない?)(また、続く)

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12月

18日

冬支度①

あと二週間を切った2011年であります。アイ・ツー社のお蔭でブログもできたし、まあイイ年だったような。二度目の冬もなんとかしのげそうです。山の中腹のようなところにある学校ですが、ヒューと風が吹くとアラレがパラパラ、雷(ブリ起し、といってまス)がドッカーン(オノマトペの練習かね、こりゃ)。太平洋側(表日本、つったら叩かれそうなので)と違って(季節の差もあるのかも)ライトニング(稲妻です、ヒコーキじゃありません)が白いンです。風情があってイイモンです。先にQKW(あ、金沢のコト、エアラインのコードですワ)に赴任したおニイさんに聞いたら、「あのドンヨリとした冬の天気がァー」なんて嘆いてましたけど、アタシャ、チットモ気になりません。鈍いって?マサカー!なんか、40年も前に住んでたパリの天気みたいで、気に入っておるのデス、ハイ。勿論、気に入ってるのは文献がナーンもないのに「学都」なんちゃってノタマうその神経(恐竜ナミです。ナンセ、アシ踏まれてから痛みを感じるのに30秒以上かかるンですから。あ、恐竜のハナシ)もですケド。(続く)

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2011年

12月

06日

4本目に取り掛かりました②

あ、若いモンとは私より若いモンの意味であります。単純に20代などを指すものではありません、念のため。

「フジヤマ」の初校も処理せねばならず、来年の学内共同研究も締切間近だし、単独研究もテーマを設定せにゃならず、結構忙しいのであります、ハイ。

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2011年

12月

06日

4本目に取り掛かりました①

さて、今度は王立海濱院です。1791年から1991年まで開いていた病院ですけどネ。まあ、イギリス人の偉大さというかしつっこさというかに驚きます(呆れます、かな)それも全くレポートされていない日本の関係各位にもオドロキますがね。かの漱石大センセにしてもマーゲイトの海濱院なんか一言も書いてないんですから。(ああ、全集を持ってるのは漱石と鷗外くらいですがね、あとは読んでも参考にもなりません。)若いころ、茶髪になるまで海水浴してたのに(木屑録、もしくは「漱石の夏休み」でもお読みくだされたく)、あの水温ではチト泳ぎも無理だったんでしょうかね。或いは水着を買う余裕がなかったのかも。(と、考えられなかったら、観光史なんてやれないよ!)観光学(ま、ツーリズム論でもいいですが)が総合的な学問だと言う割には総合的なアタマがないのでは?と若いモンを張り倒したくなる今日この頃です。

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2011年

12月

06日

学会で発表②

旧知の皆さんと会ったり、新しい研究に感心したり、となかなか学会もオモシロイのでありますが、若手(ああ、50代以下のワカモノです)の研究がサエんのはどうなんでしょうか。ひとつには指導教官がヘボなせいもあるでしょうが(否定はしませんよ、ひでェモン)「出藍の誉れ」になってません!言われたとおりやってりゃイイ、と思ってるんでしょうね、それじゃアンタ、サラリーマンでっせ。

12月3日のシンポジウムで「あの写真はイカン」だのと興奮してる禿げ頭がおりましたが、禿げ頭は「良い分別をさすり出し」というくらいにしたいものです(何、知らない?だからアンタ、無駄に禿げてるンです)ナンカ、観光史の研究をやってる連中が研究会のハナシをしてましたけど、そんなヒマがあるくらいならもっと勉強したらどうや、と思いました。(今度は誰それサンを呼んで話してもらいましょうか、とか言ってるのが聞こえましたがね、聞くより前にやるべきことがあるじゃろが!)ああ、やってないから聞くしかないのネ?

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2011年

12月

05日

学会で発表①

が終わりました。先回の発表は午後遅くだったんですが、今回は午前中で終わったので(いやー、ギャラリーに娘がいると緊張します)午後は大学生のポスターセッションを冷やかし(アドバイスかな、ああこの冷やかしも古い言葉でありまして。反古紙を堀の水に漬けて柔らかくする(これが冷やかし)間、そこらの店を回って時間をつぶしてたところから来たモンです。

 ゼミの宿題をポスターにしたようなモノが多く、ま、それでもいいんですけどアフターケアが不足しているのか、スクール水着みたいなのが目立ちました。奈良墨を扱ってた学生はホネがあってよかった、と思います。あとは旅行会社のホスピタリティを扱ってた2グループがオモシロかった。大手J社にコンシエルジュなどと称するロビーエージェント(要するに銀行のロビーにいるオヤジです)がおり、何の役にもたってない、と女子学生に喝破されておりましたゾ。名前負けはヤメナハレ。

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2011年

12月

01日

3本目が仕上がって②

目下、今週末の学会発表のパワポを作成いたしております。ま、パワポにするほどのモノではないのですが、本邦初を心掛けておりますので、なるべく目に見えるモノを作りませんと。既成の研究をひっくり返すのはこれまた楽しいモンでありまして。モグリ業者などが「処罰されたことがない(と言ってる)」のを「処罰例、ここにあり!」なんて研究発表ですから、「○○シテヤル!」などと思っていただくのは幸せ(シャーワセ)の極みであります。まあ、四庫全書を読みもしないで「観光」の語義について云々する輩(ああ、一人だけですけど、おこがましくもブログで「観光稿」なんて書いてます。読んだこと、はまあ、ないと思います。そんなレベルじゃないモン。)とそれにオタる面々にも困ったモンですけどネ。

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2011年

12月

01日

3本目が仕上がって①

学内の紀要に載せる論文(今年3本目)がようやく仕上がりました。いやいや、締切が急に3週間も伸ばしてもらえたモンですから、少しダレまして紀要委員会の委員長に迷惑かけました。(少し遅れるんなら「猶予」!を、もっと遅れて翌月に出すなら「懺悔」じゃー!なんてお茶目なヒトなんです。)明治32年のオーストラリア人向けガイドブックですから、まあ特注品で、今ならロンリープラネットでもかなわない、といったところでしょうかね。この参考文献も結構オモシロイ物がありまして。某NYK社に運賃の資料をお願いしたら、読みにくいPDFをお送り下さったその後のメールで、「言い忘れましたが、通貨はドルです」ときたモンだ。「磅」が読めなかったとみえます。でもねー、確かに現在オーストラリアはドルですがね、アンタ、「磅」も読めんでよく歴史博物館にいるねー、と感じいった次第。ま、百二十年史に「藤の花に蛇籠(へびかご)」って書くくらいのところ(ああ、大会社ですけどネ)ですから磅=ドルでも仕方ないかしらん。

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2011年

11月

11日

銀座は遠くなりにけり②

そのころ上司が二人いて、片一方はダンディーなオアニイサン、もう片一方は組合ゴロ(あ、ゴロツキのゴロです)のアホでありまして、最終的にはこの組合ゴロに左遷されたワケであります。なんせ、意気軒昂で会社の殆どのヤツを馬鹿呼ばわりしてましたモン(実際、馬鹿だったしさ)AKSGクン(あ、左遷してくれた上司です。ファーストネームですか、マ、やめときます。名前負けみたいでしたけど。)、今はどうしてるのかネー。ま、アホの末路は知りたいとは思わんのですがネ。あ、忘れてました。金沢には「銀座」は存在せんのでしょうか。少なくとも住んでる神谷内には「銀座」は存在しません。アメリカだとこれが全部「ブロードウェイ」になるんんだそうです。(本当かどうかは知りません。何せ、モノ知らずのヤツが言ってたハナシですから。本日の結論、「銀座は遠くなりにけり」デス。

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2011年

11月

11日

銀座は遠くなりにけり①

乗員組合のアホどもとトラブルをやらかして銀座に勤めていたことがあります。銀座四丁目の交番の間近、いやいや、日本でも英語のしゃべれる数少ないオマワリさんのいるところ、という認識でした。ところが、そうじゃなかった、というのが今回の日本観光研究学会の発表なのでアリマス。左遷もなんのその、小生意気な編集会社をぶちのめして、熊本にまたもや左遷されたのですが、そこからまた不死鳥のごとく(ゴキブリかも、です)のし上がってまいりました。左遷してくれてありがとう、と言いたいところですが、お返しは必ずしてあげますから、首を洗って待ってて欲しいものです。あ、小生意気な編集会社はツブシてあげました。最終的には今や臣下に下った内親王殿下を「妃殿下」と書いたのが致命傷。刷り直しが当然発生する訳ですが、そのころ左前になっていたことを印刷屋にタレ込んで、「先に印刷代、もらっとけよ」と言ったもんデス(いやいや、そのころ膝が痛みましてネ。たぶん五寸釘のせいではないかと)。左遷のお返しは何にしますかね。その会社もすでにないし、過日アメリカの某大学からメールをもらったのですが、そのころ英文の機内誌の校正のメンバーからで、感慨深いものがありました。「銀座に行ったんですが、会社はすでになく」なんて書いてあって、時の流れを感じました、ハイ。あ、そこで作ってたガイドブックとガイドマップが廃刊というか絶版になったというのが今回のテーマであります。どちらも、よく売れてたんですヨ。とにかく両方を一手に引き受け(並みのウデじゃ無理無理)、稼ぎまくりました。勿論、編集会社を屈服させてからですがネ。私が担当するまでは、刷れば刷るほど赤字だ、というのを、1年で黒字にしましたモン、そりゃ恨まれるわナ。ああ、銀座は遠くなりにけり、です。

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2011年

11月

08日

カニ解禁!

昨年も解禁初日に食べさせてもらったので(あれから1年経ちますかね)今年も松光庵(金沢の料理旅館まつ本の中M氏こと松本初夫さんのお店です、ビールは絶品、あ、料理もです、あ、それから奥さんと娘さんも超美形、と言ったらみんながおしかけて私の座る場所がなくなりそうですが、これホント。あ、ダンナを褒めるのを忘れてました、洒脱なイイ男です。何より、金沢の観光振興を日夜考えてるところが凄いね。)で香箱を。初物を食うと75日長生きする、と言うんですが、ありゃ、大嘘。江戸時代に死罪確定になったヤツが末期に一つだけ食いたいものを注文できた名残のようです。まあ、冬場に打ち首になるヤツが「西瓜が食いてェ」なんて言うと、初物が出るまで命ながらえたところに起因するようです。それでも寿命が延びるんだから、ま、いいんじゃない?

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2011年

11月

08日

蓄音器博物館

日曜日、金沢検定の受検も終わり、学生と昼飯を食ってから件の博物館を訪ねてみました。なかなか面白いところでした。なにより、SPレコードが2万枚以上ある、というのが気に入りました。戦火にも会わないのに、戦前の図書が皆無という土地柄にあって、戦前のレコードがあるなんて、実にウレシイ!文化果つる地だと思ってましたが、少し見直しました。(あ、いや、文化果つる地だという感想は今でも変わってませんけどネ)エジソンの蝋管式蓄音器もなかなかのモノでありました。説明文の英語の綴りの誤りなんぞを指摘してきましたが、すぐ直すことができますかな。外国人向けのコースには入ってないようですが、失礼ながら21世紀美術館よりはウケると思いますがね。

 あ、二村定一の唄、エアガールを探したんですが、見つかりませんでした、今度、倉庫に入れてもらいたいとお願いしようかな。

 

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2011年

11月

03日

筝と尺八、能のコラボ

昨夜は文化の日の1日前なれど和の世界に浸ってまいりました。(いやいや、浸っておるのは酒ばかりではありませぬ)筝のセンセからお誘いを頂いて行ったのですが、想像以上にヨカッた。最近、とみに文化づいております。(文化住宅とか文化包丁なんつーものもありますが、それじゃないほうで)筝のセンセのご本も買って(「おもしろ日本音楽史」)ゆうべ読んじゃいました。なかなかオモシロイ。(昔々、駒場で岸辺成雄さんに「西方音楽東流史」というのを習いましたナー。なかなかナマイキなオッサンでありました、こっちもナマイキだったけど。)

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2011年

10月

30日

新内流し

後ろ姿ですが、新内流しであります。場所はひがし茶屋街、時間は10月29日19時30分頃。朝まで会の「中M氏」こと松本初夫さん(金沢観光協会常任理事、また金沢ライトアップバス実行委員会副会長)に案内していただきました。室内で聞くよりなんぼかイイ!また、夜ですから、紅殻格子のハゲチョロケも目立たないし、雰囲気がぴったり。ひっそりかんとしてますから、声もよくとおる(神楽坂じゃ、こうはいかんでしょうな、やかましくて)

ライトアップバスで夜の観光をされている一群の方々も聞いてらしたのですが、トクした、と思っていただけたでしょうか。ああ、黄色いジャンパーのまいどさんが案内しておられましたが、懐中電灯持ってのガイドもどうかなー。皆さん割合とご年配の方でありますから、あのジャンパーも夜光反射材付きのにしたらどうかなー、なんて余計なことを考えちゃいました。

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2011年

10月

24日

奄美観光大使のお仕事②

唄者のいる島、奄美!

歌垣(かがい)というのを高校の文学史で習った(なに、習ってない!では真面目に読むべし)面々には(内容まで知らんかなー)ぜひ。

奄美大島には沖縄のようなチャンプルーでなく、地元でずーーーーっと受け継がれてきた唄があります。歌垣のような、男女のかけあい、これは日本全国、どこにもない!男も裏声を出す、しかも頻繁に。津軽のホーハイ節なんかメじゃないですよ。ヒラセマンカイという豊年行事のあとでカミギン(神衣)をアッパッパーに着替えた婆様が歌うと、一瞬いやいや数瞬間年齢マイナス50歳が見られます。男はちょっと落ちるかナー。

 ともかく、これからハイソ(古いかね)を目指すなら、奄美に行かなきゃ、ウソ!唄者もいればタダの人もいて、楽しいヨ。何、楽しみがない?海亀にレタスの餌やりは駄目かね?(M.Mさんがお着物をお召しになるより、よっぽど面白い)

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2011年

10月

23日

奄美観光大使のお仕事

今年もヒラセマンカイに行けずじまいでした。大使らしい仕事をしとらんなー、と思っていたところ、仕事が舞い込んで来ました。来年2月5日(日)に第4回奄美観光桜マラソンというのがありますので、宣伝して呉れとのこと。ハイハイ、早速。(申請やら紀要の論文書きやらで3週間もサボッてました。まあ、どっちも目鼻がついたので)

http://www.e-marathon.jp/amami/  をぜひごらんください。お前も走るか、ですって?いやいや、私、金を頂くのはもちろん、金を払っても走るのはご勘弁、という人間なので。

ああ、東京、大阪からの便に加えて福岡から奄美行きの便が運航されておりますので、そこんところひとつよろしく。喜界島の俊寛マラソンよりは私、この桜マラソンを推します。だって、平家物語に描かれた鬼界ヶ島と喜界島とは結びつきませんもん。詳しくは平家物語(有王、の段)をごらんください。現在、薩摩硫黄島と言われているところがまさにそれでありまして、ハイ。

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2011年

10月

02日

論文の進み具合⑤

やっと2本目が形になってきました。あと締切まで3週間、今週中にはなんとかイケるでしょう。盛りだくさんなので削る努力がやたら必要デス。4枚でまとめるのはちょっと惜しいくらいの内容です。なら、もっと増やしたらどうだ、とおっしゃるアナタ、いろいろ事情がありましてね。(4枚にまとめるのもウデのウチ)

 

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2011年

9月

30日

論文の進み具合④

いやー、まいりました。案内業者(昔のガイド)が営業停止の処分を受けた、という新聞記事を書こうとして、ふと気がつきました。なんと、明治40年の3月で、7月に案内業者取締規則が公布される前!「取締規則標準」で処罰されなきゃイカン。昨夏国立公文書館で手書きで写した蒟蒻版を探しまくりました(毎度整理のつかない研究室なもんで)。なにせ、インクが薄れ、というか半分以上褪色してるんです。それをマイクロにしてアーカイブズで公開している物凄さ。昨夏を思い出します。アーカイブズで文字が消えてるから、といったらマイクロを貸し出し、それでも見えんゾ、と言ったらやっと原本を見せてくれたという次第。消えた文字を(正確には文字の痕かな)蛍光灯の光に斜めにあてて痕跡を読みましたよ。まだ古文書でもないんだから、もっと大事に扱ってほしいもんです。今ではもっと褪色が進んでいるでしょうから、このブログで公開しましょうかね。

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2011年

9月

26日

論文の進み具合③

さて、まず1本、なんとかまとめました。(論文はそのスジでは編でなく本で数えるそうなのでアリマス)次は、案内業者と通弁巡査であります。ま、これもネタが多すぎるくらいあるので、ちと表現に困る。でも、巡査に等級があったなんて知ってました?俗謡がありましてナ。「四等巡査にお金があれば、電信柱に花が咲く」あるいは小屋(ボックス?)もなかった頃。「イヤダ、オッ母サン、巡査の女房、できたこの子は雨ざらしィ」海外旅行の金額の比較に巡査の給料を使った某東大のセンセがいましたケド、その後評判を聞きませんなー。ま、漱石の「坊ちゃん」の給料を物価比較に使った某浦安のセンセにもまいりましたけど。(ご作の中で使えるのはお天気の記述だけ、と書いたんですが、わかってるのかな?)あ、このへんは拙のヘボ論文をごらんくだされたく。

初期、もしくは最近に至るまで、おまわり(サン)のことば遣いがひどかった、という説(もちろん、俗説でッセ)があるんです。こらこら、ということばで良民を脅してた、というんですが、とんだ誤解で。某薩摩ッポの言葉(まあ、あるとすれば)ではモシモシが「こらこら」なんだそうでありまして。

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2011年

9月

25日

論文の進み具合②

いやー、やっとケンペルの日本誌のドイツ語版を入手いたしました。フラクトゥール体と言うのだそうですが、それで書かれているのでサッパリ読めませぬ。しかし、手引きはあるわけですから、1779年製の英語版を頼りにしたら、大間違い。サッパリ頼りにならんどころか、ドイツ語の綴りを間違えております(普通、日本人にこんなこと指摘されるかねー。)。馬鹿はどこにでもいる、と思ったんですが、外国にもいたんですねー。(どこって、日本のことかい、と思ったアナタ、大正解。ま、それはおいといて。)でも、お蔭で、原文至上主義が貫けましたです、ハイ。

 でもねー、日本語の場合(バヤイ、かな)旧かな遣いの他に候文、変体仮名などあるわけですから、勉強しなけりゃならんことは多々ありますが、先生方、教えてます?あるいは避けてます?観光史がやっと陽の目を見るようですが、ここらへんができなくて対処できるのかしらん。お願いですから、馬鹿の拡大再生産にならんように。

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2011年

9月

11日

論文の進み具合①

目下、作家ほどではありませぬが並行して論文を書いております。1本目は「フジヤマ」のはじまりについて。これはだいぶ恰好がついてきました。ただ、40×40×10枚程度、と約束しちゃったもんですから字数削減におおわらわ。原文中心で日本語訳との対比はやめざるをえませんでした。参考文献はあげなくちゃ、ですからこれで2枚くらいオーバーになるかも、です。あとは例の通弁巡査の件ですが、学会発表用に作成中。昨年の発表でのお約束、ガイドの冤罪と摘発について書いております。あと、開誘社が明治12年に設立されていない、という事実の補強証拠も書かなきゃ。(これでけっこう、こまめに調べておるんです、ハイ)学校の紀要にも書きます。これは以前に口頭発表したものですが、明治32年製のオーストラリア人むけの英文ガイドブックのオハナシ。そうそう、科研費の書類も最後だと思って書かねば。(今年はちょいと趣を変えるかな)それから醫譚に英国海濱院について書かねば。あー、忙しい。

 

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2011年

9月

11日

ゼミ合宿、いえゼミ旅行0泊3日①

金曜日のゼミ(先日のゼミ合宿は木曜日のゼミ)の学生と一緒にTDSに行くことに。往復ともに夜行のバスであります。旅の真髄、0泊3日というわけ。計画を話したら事務局に「先生、大丈夫ですか」と言われてしまいました。いやいや、すでに名古屋外国語大学(NUFS)で経験済み、こちとらツワモノだーい。

外国人にぜひおススメしたい、と思っておるのでありますが、なかなか普及していない(させたくないのかも)。ジャパン・レール・パスなどとカッコつけてますが、新幹線は「のぞみ」の利用不可、乗りたければ運賃・特急券とも全額払えというすさまじさ(知ってました?)。しかも英文のチケットの読みにくさ!夜行のバスの方がよっぽどいいよー、と声を大にして言いたいですな。

 ところで、TDSは10周年、とはいうものの、TDRだってオープン前のスポンサーデイに行ったっきり。迷子にならんでしょうか。(笑)

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2011年

9月

07日

ゼミ合宿(番外)

学友会およびMKPという団体所属の学生9名と事務局1名で穴水町にある小学校の廃校で合宿をしてきました。アテ(アスナロだそうであります)の木の香がまだ残る、廃校にするには惜しい建物でありまして、地元青年団の団長Mさんも何かに使えないか、と考えておられる由。一つの例として提案したのは、小学校での同窓会。先生を囲んで昔の悪ガキどもが一杯やるだけでなく、せっかく教室も残ってるんだから、先生に授業をやってもらったらどうか、というものです。

 星も綺麗に見え、虫の音(息ではありません、念のため)もなかなか都会では得難い観光資源だと思うのですが、やっぱり地元ではあたりまえのありふれたものだと思ってしまうようです。

 能登ワインも見学させてもらいました。搾汁機はドイツ製、濾過装置はイタリア製(どてっぱらに書かれてました)は何か訳でも(まさか三国同盟の信奉者?)と伺えば、「安いから」とのお返事で安心した次第。日本は平和です、ハイ。

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2011年

8月

30日

ゼミ合宿①

 1年ぶりのゼミ合宿in休暇村能登千里浜であります。19・20歳の女子学生ばっかりでありますから、仲間内からの羨望の声が聞かれそうですが、そんな甘いモンじゃない!到着して30分後には過去問100題を実施。昨年よりは手ごたえのある学生でありまして、絞り甲斐がありそうです。

 おやつに兄が送ってくれたドバイのお菓子(おそろしく高価のはず)を出したのですが、ちと味覚が違うようで不人気でした。(ナツメヤシなんて普通食わんもんネ)

 

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2011年

8月

16日

「通弁巡査」なんてものが

あったんですねー、オドロキ!私ャ、英語をしゃべれるお巡りサンなんて銀座四丁目の交番にしかいないと思ってましたモン。最古の例は明治40年、ちょうど外人案内業者取締規則ができたころです。世の中、需要があると思ったのか、必要性を感じたのか、いや、とにかく往時の内務省官僚にはアタマが下がりますなー。最近のセコイ官僚アガリに読ませたい記事です。

 ま、名称は「通訳巡査」だの、「英語通弁巡査」だの、「通弁巡査」になってますが、この試験問題がまたすごい。あまり面白いから、今年末の学会発表はこれでいくことにします。真似しちゃ、だめよ。

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2011年

7月

31日

BON DANCE

なに、盆踊りの英訳です。花火大会にも行かず、近所の公園の盆踊りを見に猫と出かけました。スゴイ!かかる曲が「炭坑節」一本やり。しかも、歌詞が正調と違う!一番(あ、当地では一題目というんだそーです)からおかしい。月が三池炭鉱の上に出てません。あと、何番(何題目、かね)かわからないんですが、「仇の花」を「無駄の花」と唄っておったように聞きました。無駄の花はないんじゃないの?

 まー、子供のころから盆踊りには参加したこともなく、(ヒネた子供だったんです、ハイ)文句を言う筋合いでもないんですがね、「もーとーの、ムスメのー、十八にー、かえしてくれたら、別れーます、サノヨイヨイ」はねー、夏休みの子供に記憶させるような歌詞ではないんじゃないか、と思ったしだい。

 『ヤマ(炭鉱)は閉じても炭坑節ゃ残る、さぞやお月さん煙たかろ。』

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2011年

7月

20日

発見、土用餅!

金沢駅で見つけました。ここの蓮根餅がいい、と娘が勧めてくれたお菓子屋さんが名店街の出入り口にブースを出して売ってました。こしあんでくるんだ餅で、かの赤福よりは小ぶり、かつ、表面がつるっとしておらず、鍋の木蓋のような形に上方に捻ってあります。能書きに「土用餅 暑気払い、無病、長寿を願い、古くは平安時代にも食されていたといわれている『夏の風習菓子』」とあります。土用丑の日の話の中に書いただけに、なんだか嬉しくなっちゃいました。研究室の冷蔵庫で冷やしておいたら、目ざとい腹っぺらしが「先生、食べてもいいですか!。」許可したら、2つも食っておりました。ま、土用だ、許す。

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2011年

7月

15日

土用には鰻もいいけど丑湯もね②

 いよいよ丑湯が近づいて、青森のゆ~さ浅虫からの今年の企画を待ってるんですが、まだ来ません。今年は鰻が高騰しているとかで、丑湯を喧伝するにはチャンスだと思うんですが、はてどうなることやら。

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2011年

7月

11日

応援団の太鼓叩き②

 後輩から送ってもらった画像であります。実に嬉しそうにやっておりますなー。完全に高校生になりきってます、ハイ。あと3年後にもやってるのかな。まあ、確かにイイ高校ではありました。試験は少ないし、宿題はなかったし、授業中に寝てても起こされたことがない。放任主義というのか、生徒に無関心だったのか、こちらが教師に無関心だったのか、よくワカラン。

 遅刻をなくそう、ってんで生徒指導係・剣道8段のY先生が通用門のところで毎朝見張ることにしたら、百人単位で日を追って遅刻して正門に回る学生が増加したので確か三日でやめたことを思い出します。

 応援団も体育祭でアドホックに作ったものを存続しようと発起人3人がビラを配って、やってきたのは私一人だったハズ。

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2011年

7月

10日

応援団の太鼓叩き①

 高校の同窓会(旧制中学と戦後合併した旧女学校および新制高校)の東京総会で応援団の演武(舞かな)をやるというので、飛行機に飛び乗って東京に行ってきました。63のオッサンのやることではないと思うのですが、同期のリーダーがやるのに、太鼓を叩く奴がおらんでは格好がつかんので出席した次第。我々卒業は18期、団の後輩には62期という現役の大学生までおりまして、トシを感じましたなー。

 太鼓はレンタルのものでしたが、胴にササクレが目立って、ちとイタイタしいシロモノでありました。(革はよかった。)バチも細めですがいいものでした。その昔、体育館のモップの柄を切ってバチに使った話をしたら後輩どもはビックリしてましたが、さて、応援団なんていつ頃からできたんでしょうか。ナンバースクールの対抗試合が始まった頃かな。今年の研究の項目に加えてみたいと思います。(続く)

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2011年

7月

03日

土用には鰻もいいけど丑湯もね①

もう7月に入りました。あと3週間もしないうちに土用の丑の日が。今年は7月21日(一の丑)と8月2日(二の丑)が土用の丑の日です。(論文紹介のところで土用丑の日の「丑湯」と「丑湯祭り」についての拙稿を掲載してありますので、興味のあるかたはそちらもどうぞ。)

 さて、今回のタイトルは先輩のハーブ農場の求めにより作成したキャッチコピーであります。つまり、鰻を食べるだけじゃなく、ハーブを入れた丑湯に入りませんか、というおサソイなのであります。

 昔の温泉場などでは、丑の日の丑の刻に入ると一年間無病息災だ、というので、番頭さんたちが湯治客を夜の夜中にたたき起こして回ったのだそうであります。石川県にも昔はかようなウルワシイ風習(夜中にたたき起こしはしなかったようです)があったのに、すたれっぱなしです。せっかくりっぱな総湯なんてものをこしらえても、これじゃねー。(続く)

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2011年

6月

29日

金沢の婚礼料理②

40名が100名超、というので、サービスは遅く(あ、悪いわけではありません。こんな機会でもなけりゃK楼さんなんか行けないモン。)これは3倍近い客を入れた「ふるさと不足」某新聞が悪いね。付近の高齢のご婦人方が料理の出が遅いって言うことしきり。これだけじゃなく、受付もダメ。大体、昼間の料亭に団体客が押し寄せるかどうかは分かりそうなものなのに、わざわざ二階の廊下に机を置いて受付することァないんです、それも暗い顔のネクタイも締めてないハンチクのクールビズのアンチャン(よりは歳くってたな)と、極めてふくよかなお嬢さん(何年か前の)のコンビじゃねー、客寄せにはなりませんな。形態からすれば、関西のドツキ漫才系のコンビではありましたが。はしなくも、金沢の観光の活断層を垣間見た気がしたのでありますが?(観光客をナメテませんか、あなた。)

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2011年

6月

29日

金沢の婚礼料理①

これが「鯛の唐蒸し」であります。金沢の婚礼料理にはつきものの、とは聞いてましたが、こちらで婚礼に呼ばれるアテもないし、そのうち食ってみようと思っていたところへ、例の「ふるさと不足」の新聞に「料理サロンで婚礼料理」なんてのが出てたのでさっそくネットで申し込んだというわけであります。40名限定、なんて紙面にあったもんですから、7時前(ウチの新聞屋は5時半には届けるんです)に申し込んだところ、「厳正な抽選の結果、当選されました」てな葉書が届きました。行ってびっくり、40人どころか、100人は超えてました、しかも高齢のご婦人(簡単に言うとバーサン)ばっかり。あ、よれよれのジーサンも少しですがいました。背広(古いね)着てたのは私くらい。団塊の世代もあきまへんナー。金がないのか、知的好奇心がないのか、はたまた時間がないのか。これじゃ、まいどさん(金沢のボランティアガイドです。ご多聞にもれず、高齢のご婦人が多い。これでは観光はアカンと言うとるのですが、反省の色がない。観光客が求めるのは非日常性です。自分と大して変わらん年寄りに案内されて、誰が喜ぶモンですか。若干不確実な知識をつっこまれて、うろたえて赤くなるお嬢さんなんかが初々しくてよろしい。フテブテしいのは私ゃ好かん。)

と一緒じゃないの。(続く)

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2011年

6月

21日

フジヤマ・ゲイシャ考(番外)ビーグル号異聞②

英語版のwikipediaによれば(一応調べてみました)、1845年に沿岸監視船W.V.No.7(なる名称)となり、1870年に売却されて廃棄処分になっているとのことです。もともと235トン(積載量?)とのことであります。いくら改造しても522トン(排水量)とは乖離があるかな、とも。

 年代的に、とのコメントもありましたが、あまり時代的乖離はないように思われます。 

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2011年

6月

20日

フジヤマ・ゲイシャ考(番外)ビーグル号異聞

リクエストがあったので、また資料を引っ張り出してきました。「明治3年6月鹿児島藩献納、明治14年9月12日除籍、船体を摂津艦に附属す、同15年7月船体を東海鎮守府に属し浦賀永泊と為せしが、同22年3月売却せり。」軍が物品を売却するのはよくあったようです。(古い新聞広告にも出ています)のでこのへんを調べれば、売却広告くらいは見つかると思いますが、買ったやつまではちとわかりかねます。

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2011年

6月

18日

フジヤマ・ゲイシャ考④

しばらくサボッておりました。「日本海軍艦船名考」(浅井將秀編、東京水交社版 昭和3年)を読んでいたら、「フジヤマ」なる軍艦を発見しました。木造、排水量1,000トン、350馬力、製造場所「米國ニウヨルク」となっております。さらに「元治元(1864)年製造、徳川幕府の軍艦、富士山と命名す。慶応元年横浜到着。明治元年4月、徳川幕府より朝廷に納む。」とあり、とんだところでフジヤマが出てきました。

 実は、別の件を調べておりまして。かのダーウィン先生が乗っていたビーグル号が日本にあった、というハナシ。鹿児島(薩摩とは書いてないのが不思議なんですが)藩の軍艦、乾行(けんこう)木造、522トン。「この艦につき、一の物語あり。1859年建造とあるは船体を大改造又は大修理の意か。実はこの艦はかの原種論(つまり、種の起源)をもって有名なる『ダーウヰン』の南洋探検に座乗せる英艦『ビーグル』にして後『ストーク』と改名したり。而して『クリミヤ』戦争にも従軍したる事蹟あり。鹿児島藩にて購入(元治元年)の節にも弾痕数箇所ありて英人は頗る之を誇り居たりという。」トリビアに出せるかも。(続く)

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2011年

6月

18日

日本の海水浴(場)に関する知見⑧実朝の怪水浴その2

思うに、建永二年正月十八日の記事と、四月十三日の「将軍家御違例」(要するにまた病気になった)と四月廿日の「将軍家御不例令復本給之間。有御沐浴」(病気が治ったので風呂に入った)のをごちゃまぜにしたのではなかろうか。丹霞楼主人サン(富士川游という大学者ですケド)も罪つくりをなさる。ま、調べずに書く方が悪い(アタマがね)のですが、平成の御代になっても引用するヒトがいるのは困ったモンです。ご紹介しておきましょう。「海水浴の文化史」(水資源開発公団)、「東京湾学会誌1巻5号」、「海の百科事典」(丸善)。文化史だの学会誌だの、百科事典だので書いてもらっちゃ、名前が泣くってェもんです。あ、吾妻鏡ですか、今は現代語訳が出てますから、ナンなら小学生でも読めるハズ。大体、実朝の将軍在位期間なんて短いモンでしょ、労を惜しんで恥をかくことはないんです、ハイ。

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2011年

6月

18日

日本の海水浴(場)に関する知見⑦実朝の怪水浴

 東西、東西。お目にかけますは、「実朝の怪水浴」の出所、風俗画報 明治22年8月10日 第97号でゴザーイ。この雑誌(絵入り雑誌でありまして、○×グラフなんどの写真入り雑誌が出るまでけっこう人気だったようです)の18頁に丹霞楼主人が『又、源実朝病ありて鎌倉の海に浴せしこと東鑑に見ゆ』と書いております。こうまで書かれては東鑑(吾妻鏡)を読んで確かめてみようという気にならなかったのか、明治のヒトは信じ込んじゃったものと見えます。かくて、実朝は海水浴の元祖となりました。

平凡社の世界大百科事典にも小学館のニッポニカにも書いてあります。(バッカジャナカロカ )どうも吾妻鏡の建永二年の項に承元元年正月十八日甲午、将軍家○源実朝二所御精進始。為浴潮給御濱出也」とあるのを読み間違えたらしい。(いくら旧暦でも、正月の十八日つったら真冬ですがな。あの虚弱で鳴らした!実朝が、あなた、海水浴をするもんですか。)(続く)

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2011年

6月

09日

觀光映画だッ!①

YouTubeにJapan-The Island Empire 1932が出てると紹介されました。出所はよくわかりませんが、製作・出演に名前が出ているフィッツパトリックなる人物は「往年、國際觀光局が、米国からトラベル・トーカーであるフィッツパトリック一行を招聘して、数か月に亘って国内を旅行させ、『モダン東京』、『桜咲く日本』、他二種の映画を作成させたのが、我が国観光映画の本格的なカラーフィルムであった」(復刊國際觀光第1号P14)この人物であろうと考えられます。もっとも、モノクロなので、出所が知りたいところです。MIYAJIMAをNIOJIMAなんて書いてるところから察するに英語の聞きとれない日本人か日本の名所に関心のない外国人かと思われるのですが。

あ、引用文中のトラベル・トーカーとは、ま、早い話が活弁みたいなヒトとお考え頂ければよろしい。(続く)

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2011年

6月

05日

百万石まつり④鳳輦について

 使う辞書類が古いせいか、はたまた教育が古いのか(太平記を子供の頃から愛読しており、足利尊氏の前にはかならず「逆賊」を付けることにしております、はい)、また片っ端から調べてみると、あちらこちらの神社で神霊(みたま)をお移しした神輿で上に鳳凰が乗っているのを鳳輦もしくは御鳳輦(ごほうれん)としているようです。しかしね、万世一系の天皇のお乗り物が、失礼ながらどこかの神様の神輿に名前を取られてよいものか。

 北条泰時の故事に、親父の義時に「もし、畏れ多くも鳳輦を先立て、御旗をあげ、臨幸あらせられる、その時はいかが進退すべきか。」と問うた、とあるが、おミコシを先頭にじゃ、僧兵の強訴かと受験生が考えやせぬかと危惧するのであります。

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2011年

6月

05日

百万石まつり③

いやー、よく歩きました。昨年の経験から、行列がよく見えそうなところで張ってたんですが、朝まで会の3M氏のうち中M氏しか確認できませんでした。最後尾を確認してから河北門に回り、盆正月の飾り物をチェックして通行止め解除後の石川門から出て香林坊に急ぎ、踊り流しを撮影したものです。星短生、いました!(何枚か撮ったのですが、赤目になってたりしてたので校名ののぼりがフルで撮れてるのにしました。従って将来のミス百万石候補はお見せできません。)

 話は戻って、利家入場の行列の最初の方に神輿が登場したのは良いのですが、「鳳輦」との名称が付いておりました。これは天子様のお乗り物の呼称のはずですが、陛下はいずれにおわしますか?私の無知ならばご教示願いたいものですが、僭称しているのであれば不遜ではありませぬか。(続く)

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2011年

6月

04日

百万石まつり②

浅野川、梅の橋付近の川岸から見る灯篭流しであります。いやー、なかなかのものでした。小型の灯篭も実に安定がよく、沈んだりするものなど皆無。5月3日にこの付近で鯉のぼりを川で泳がす集いを見ました(川の上に綱をわたして、鯉のぼりを翻らせるのは各地で行われていますが、川の中を泳がすというのは聞いたことがなかった。)それにしてもよく集めたものと感心したことでした。あ、本日は行列だけでなく、菖蒲湯に入らねば。当地では6月5日に菖蒲の節句をやるのです。(正月には紅白の鏡餅を飾り、福梅を食し、5月にはあぶりもちを、7月1日には氷室饅頭を食すというように、なかなか他所では見られない習慣があります)あと、「盆正月」(最初聞いた時は冗談かと思いましたが、本当です)も一度は見ておく必要があるので忙しい一日になりそうです。(続く)

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2011年

6月

02日

百万石まつり①

さあ、百万石まつりだ。今年は武者行列に朝まで会のメンバーが出るので、ぜひ見に行かねば。星短(星稜女子短期大学なんですが、皆こう縮めて呼ぶんです)の卒業生がミス百万石3名のうち2名選ばれているのでそれもぜひ見たい(いや、こっちの方がメインかも)。あ、勿論学生の百万石踊り流しも見ます。踊るほうは不器用なもので遠慮して、今夜は灯篭流しを見物に行きます。10時になったら近江町へ下駄を買いに行かねば。(続く)

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2011年

6月

01日

朝まで会夜話③これでご当地、観光地?

金沢に愛猫と移り住んではや1年。学生に名物・名所を説明するのも自慢げにやれるようになった今日この頃、ちょいと気になることがいくつか。①観光客が金沢駅に降り立って、改札口を出ようとするその時、頭上にでっかく「ふるさと不足に○○新聞」とあるんですなー。モデルはウチの卒業生だし、ま、いいか。ところが、金沢駅を出発する際の改札口にはなんと書いてあると思いますか?「金沢へようこそ」(えっ)。どうも観光客よりふるさと不足の方が大事みたいですナ。②今年は鈴木大拙の記念館ができるようです。いや、めでたい。ところで鈴木大拙って誰、と聞いたら学生で知ってる者がいなかった。(なるほどふるさと不足だ)③とにかく街中は駐車場不足。連休中にパークアンドライドの表示をみかけたので、タクシーに乗った時に聞いたら利用率は大したことなかったとか。そりゃねー、街中の車両進入制限とか、街中の駐車場料金の引き上げしなけりゃ、効果ありませんよ。(ザルで水汲むみたいなモン。)

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2011年

6月

01日

朝まで会夜話②どう表記するハントンライス

HungaryのHung(いちおう誤解なきようgもつけましょう)とThonでHungthon

Rice?でも英仏混成というのが気になる。ハンガリーも仏語ではHongrie(オングリ)だから、オントンライスが正解!いや、そんな話でなく、よりによって何でB級グルメなんだ、という話。確かに金沢(含む石川県)にはウマイもんが多い。先日食べたガスエビ(赤ガス)も身はうまいし、アタマを焼いたのも抜群(中M氏「腕の差ヨ」と言うと思います)。でも、金沢に来るまでは「築地魚河岸三代目」(ああ、マンガです)で見ただけでした。もっと地道に宣伝を続けていかないと(ゲストから「金沢のヒトは話がウマクない」のコメントあり)、新幹線が来た時に車内販売で「金沢名物ハントンライスはいかがでしょうか」てなことになりゃせぬか、と心配するわれら朝まで会なのであります。(続く)

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2011年

6月

01日

朝まで会夜話①B級グルメ?

昨夜は「朝まで会」5月例会でありました。出席者は発起人4名とゲスト2名(妙齢の女性1名を含む)。見せてもらった「2011観光の手引」の金沢のお国自慢にハントンライス(B級グルメの石川県代表)が入っていると言うと、M氏(ああ、発起人4人のうち、M氏が3人いるので、便宜上、年齢順に大M氏、中M氏、小M氏としときましょう)中M氏曰く、「なんでこんなにいい食材があってウマイものが食えるのに、金沢でB級グルメなんかはやらす必要があるんだ。大体あれはいい食材もなく、何も名産のない土地でできたもんだろう。」中Mさん、おっしゃるとおり。でも、ま、B級グルメの定義からおさらい。①地域で愛されている②値段は安め③その割には結構美味④庶民的な食べ物だそうです(田村秀 B級グルメが地方を救う P11)。「ハントン」とはハンガリーのハンにマグロのthonトンをくっつけたのだとか。(英仏混成語?あやしい!)(続く)

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2011年

5月

31日

日本の海水浴(場)に関する知見⑥再び海濱院

明治20年7月30日付大日本私立衛生会雑誌(第50号、東大の明治新聞雑誌文庫蔵、誰でも読めます)によれば、イタリアが1842年にウィアレギオで海濱院を開設したのが初めてのようになっておりますが、さにあらず。かのリチャード・ラッセルのブライトンではなく、J.C.Lettsom(レットソンですかな)が1791年にマーゲイトに開設したほうが大分古い。しかもこの王立海濱院、1991年まで存続していたというから驚きです。今は分譲マンションになっているようですが、カール・マルクスが1866年に腫物の治療に4週間滞在していることでも有名。(ネタ本があるのですが、今年の研究発表に使いますので、今はナイショ)漱石先生も下宿にこもってばかりいないで海水浴でもすれば鬱にならなかったのにね。それから、河東碧梧桐が沙美海濱院で俳句三昧をやった、という記事を見つけて全集20巻を総ざらえ(出た!)したところ、明治43年に確かに沙美に滞在したことが17巻に出てました。(続く)

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2011年

5月

26日

アマミノクロウサギの話

 少し話題をかえて。因幡の白兎を外国人に紹介した富士屋ホテルの主人も鰐鮫をCROCODILEと書いてます(困ったものですが、今更叱るわけにもいかず、あ、この本の題は「わしら、日本人」WE JAPANESE といいます)。また、何年か前に絵本で白兎がクロコダイルの上を跳ねてるのを見てびっくりした覚えがあります。(最近は見かけません。)絵本といえば、「ジャックと豆の(  )」カッコに何を入れますか。「木」だと思うでしょ。ブー!「つる」が正解!?確かに豆は植えても「木」にはなりませんが、ここまでくるとくそリアリズム。

 奄美観光大使を拝命しておりますので、ちょっと奄美について。表題のアマミノクロウサギを分解すると、「奄美 野 黒兎」となります(つまり、奄美にいる、黒い野ウサギなわけ)。でもイナバノシロウサギが刷り込まれているもんですから、みんな「奄美の黒ウサギ」にしちゃうというわけです。でも、古事記ってそんなに読まれてたかな。

 

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2011年

5月

25日

日本の海水浴(場)に関する知見④

 ふたたび、「海水浴の大衆化」ですが、海水浴は最初から大衆のものでした。「上流階級」といいますが、足軽のこせがれが成り上がったのを上流階級と呼びますか?それはいいとして、海水浴そのものはシーボルトが学生に教えた授業の筆記録に出ています、1830年。これが、外国人の輸入した健康法でしょうか?病気の治療法です。病気の治療に上流階級・下層階級の差がありますか?(航空機内で病人が複数出ました。エコノミークラスの旅客は払った運賃が安いから後回しにされますか?)避暑にしても、何から何まで外国人が持ち込んで日本人が模倣したという考え(これは外国人コンプレックスだと思います)はやめるべき(頭では思っていても、論文には出すべきではないでしょう。)ああ、上流階級!の模倣説を唱える方は、因幡の白兎のお話を海水治療の好例だと言うんです。あなた、日本人?(続く)

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2011年

5月

25日

日本の海水浴(場)に関する知見③

拙稿「日本の『海水浴の大衆化』について」、ごらん頂けましたか。これは「日本の海水浴というものは、西洋人が持ち込んだもので、それを上流階級の連中が健康法として好み、やがて一般大衆にも広がっていった」というトンデモナイ俗説を抹殺するために書いたものです。(もっとも、俗説はまだはびこっておるようです。)海水浴に関する先行研究でよく引用されているのがO某氏の論文ですが、誤りが極めて多く、「これを引いちゃー、オシメーヨ」というくらい。また、これを無批判に引用する人が多い。せっかくですから、ひとつご指摘を。「後藤新平の書いた『海水功用論 附海濱療法』は国会図書館に所蔵されていない。」というくだりがあるのですが、まったくの誤り。同論文が書かれる以前に国会図書館の所蔵になってます。探しにくいのですが、ないことはない。ないのは探すウデばかり。(続く)

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2011年

5月

25日

日本の海水浴(場)に関する知見②

 2005年の夏には「われこそは日本最初の海水浴場なり」とのたまうところが7箇所もありました。今はもっと多いかな。いずれももっともらしい理屈をつけていますが、結果としてはすべて落第です。昨年(2010)に讀賣新聞から2回、愛知県の某テレビ局から1回電話でインタビューを受けましたが、新聞には私の説を載せてもらいました。いわゆる海水浴場としては開場が最も早いのは岡山県(沙美じゃありませんよ)児島郡田之口村に明治14(1881)年8月10日に開設されたものです。浅口郡誌の記述をもとに沙美が明治13年に開設した、と主張するむきもおありでしょうが、明治16年6月14日付の山陽新報には「沙美浦海水浴場は昨年始めて開場せしが」とあって、明治15年開場ということが明らかです。あとあとまで残って、有名ではあったんですが、残念ながら日本初とは認められないばかりか、岡山でも2番目というわけです。論文はこのH/Pに掲載してありますから、ごゆっくりどーぞ。(続く)

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2011年

5月

25日

日本の海水浴(場)に関する知見①

 まだシーズンには早いのですが、海水浴についてひとくさり。画像は奄美大島の大浜海岸(長い砂浜は綺麗さ抜群、シャワー設備など完備、なにより混まない)であります。芋の子を洗うような海岸がお嫌いな方にはぜひお勧め。泳ぎに飽きた方は、タラソテラピーの施設に行くか、水族館で亀さんがレタスを召し上がる(草食系とみえます)のを口をあけてご覧になるがよろしい。

 泳ぎは苦手な私がなぜ海水浴の研究をするようになったか、と申しますと助教授に採用された静岡の大学の図書館報に囲み記事を書くように依頼されたのが始まりです。せっかくですから、オモシロソーな記事を、と思い、「日本で最初の海水浴場はどこか」などというテーマにしたのがきっかけでハマってしまったのです。(続く)

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2011年

5月

25日

「國際觀光」がない!③

今春、昭和23年に復刊された「國際觀光」10冊合本というのが売りにでたので早速入手。復刊第一号に「觀光映畫の行く道」という記事があり、旧國際観光局の製作した観光映画についての記述があるのですが、中に「すなわち、その初期においては、『フジヤマ、サクラ、ゲイシャの映畫』と悪口をいわれながらも」という表現を発見。フジヤマ・ゲイシャ論が大きく進展しそうな気配であります。仙花紙とはいいませんが、ページが薄くてコピーを取ると裏移りするようなシロモノです。

 復刊でこの調子ですから、ホンモノにはどれだけ未知の情報が詰まっているか、ああ、つくづく戦前の「國際觀光」が欲しいと思ったことでした。

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2011年

5月

25日

「國際觀光」がない!②

日本の観光史研究を志す者(あまりいませんが)にとっては「國際觀光」はまさに宝の山。例えば、「軽井沢とほぼ同時期に宮城県塩釜港の近くに高山という外国人専用の避暑地が出来ていた」。「雲仙では外国人避暑客にキャンバス・バンガローを貸していた」。外国のニュースでも、目下世界一の観光客数を受け入れる「フランスがかつて年率15%で観光客数が減少していた」。などなど、知らないことだらけで、とにかく勉強になる雑誌なのです。「日本にもカジノを」などという主張も掲載されており(80年も前に!)いまどきの観光政策の立案者(誰だか知りませんが)が見たら腰を抜かすような記事が満載。

 まあ、時折ヒットラーやムッソリーニが掲載されているので、終戦当時にヤバイ、と考えた方々が処分したのでしょうかね、いやー残念。(続く)

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2011年

5月

25日

「國際觀光」がない!①

 戦火にさらされなかった金沢に移り、まず探したのは「國際觀光」という戦前の雑誌でした。ところが、影も形もまったくなし。図書館の横断検索をかけても一冊もみつからない。ある古本屋のご主人曰く、ここの図書館(どこだか不明、にしときます)は新しい本が入ったら古いのは全部廃棄処分にするんです。古本屋には売るな、と言われてるそうで。だから探すなら東京の方がいい、と言われて愕然。

 全巻揃ってる国会図書館蔵はモノクロのマイクロフィッシュで読みにくい。東大の経済学部図書館蔵は何冊か欠本がある。非常に状態の良い三康図書館(芝増上寺裏手)蔵は冊数が少ない。できることなら現物を手元に置きたい、と古本サイトで探すことすでに8年、入手できたのは僅かに4冊。(続く)

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2011年

5月

23日

フジヤマ・ゲイシャ考③

ところで、「総ざらえ」がいかに困難か、これは観光学学徒にとっては未知の領域かも、です。なにしろ、これを極めた先哲?はいないわけですから(先哲、ゴメンネ)。「観光」の語源でぐだぐだ言ってる御仁も四庫全書は全く見ていないようでした(見たけどわからない、と言う方が正しいかな)。でも、シラミつぶしに調べれば結果が出る(はず)のものを調べないのは犯罪に等しくありませんか?

 ともかく、フジヤマ・ゲイシャ考を始めました。諸賢(言い過ぎかも)の投稿(書き込みにはしません。但し、不出来なものは抹殺します。また、方法論に終始して、実態の研究がない投稿もボツにします、意味がないから。)を期待します。(これで奮起しなかったら、私の足を齧る愛猫以下ですゾ)(続く)

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2011年

5月

23日

フジヤマ・ゲイシャ考②

しかし、戦後の国会答弁などでは、戦前の観光が「フジヤマ・ゲイシャ」を売りにしていたとのたまうようなフシが見られるのです。するとこれは、日本人の特質である、「ご破算で願いましては」による「戦前はすべて悪である」との認識によるものか、少々悩ましいところではあります(何しろ、こちらは厖大な資料にあたっておりますから、安物の二次資料を引き写した面々と違ってこうしたことが言えるわけでして)。

 ところで、戦前の世評がいかなるものであったか、それを調べるのは当時の新聞記事しかないのでありますが、簡便にチェックできる満足な資料としてはヨミダス歴史館くらいしかなく、(朝日のもありますが、これはちと怪しい。他の新聞に至っては、データベース(作りゃいいってもんでもないのですが)すらない有様で、結局私の得意(観光学学徒の最も不得意な)とする「総ざらえ」しかない訳です。(続く)

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2011年

5月

23日

フジヤマ・ゲイシャ考①

昨年末からこのテーマに取り組んでおります。研究仲間である佐竹真一氏の友人から寄せられた疑問が発端となったものですが、これはひとつの盲点でありました(と言うより、こんなことを調べた人はいなかった)。大体、いつごろから「フジヤマ・ゲイシャ」(もしくは「フジヤマ・ゲイシャガール」)などと言いはじめるようになったのか、なぜフジサンでなくフジヤマなのか。戦前のインバウンド・ツーリズムの旗手・国際観光局についてあれこれ調査してきた結果としては、戦前の観光(公的)ではキャッチフレーズに「フジヤマ・ゲイシャ」を用いた事例は見られない(楠元某氏の「万博でキャッチフレーズにゲイシャを用いた」とする説は甚だ疑問というか、アホらしい妄説と思われる)。旧JTB(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)の出版物には「フジヤマ・ゲイシャ」もしくは「フジヤマ・サクラ・ゲイシャ」が見られるところから、元凶は旧JTBに違いないとこの春休みに4人(私および大阪観光大学の佐竹氏、教え子の中村敏氏、中谷達也氏)がかりで国会図書館(関西館)でTOURISTなる雑誌を総ざらえしたところ、これが濡れ衣であったことが判明(旧JTBさん、ゴメンネ)。(続く)

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2011年

5月

22日

卒業45周年の同窓会

5月21日(土)名古屋で高校卒業45周年の同窓会。180人ほど集まりました。例によって、恩師は一人も現れず。同じクラスの面々は経年変化しつつも判るのですが、他のクラスは...。女生徒は大体知ってるつもりが、これまたサッパリ。節目ごとに開催されるのですが、あと5年したら皆来れるでしょうか。

 あとで思いついたのですが、コンベンションの進化(というか拡大解釈型というか)したMICEに積極的に同窓会などを打ち出して外国人客を呼んでみてはどうでしょう。40年ほど前に、羽田空港でそんな団体客を迎えた記憶があります。海外の大学と姉妹提携などされている大学の先生方、国策に協力なさってはいかが?(無理かな)

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2011年

5月

20日

只今研究中

連休中に一家そろって弘前に花見に行った時のショットであります。ただいまかじっておりますのは、①英国王立海濱院の研究(これは本年の学校の単独研究)、②フジヤマ・ゲイシャに関する研究(研究仲間あり)、③戦前のガイド業に関する研究(昨年末、学会発表したものの続き)、④海水浴に関する研究、⑤「観光」の用例に関する研究(四庫全書の用例研究)などなど。

 リンゴといえば、花見の時に青森駅前の「あうが」の横でインドリンゴを売っているのを見かけ、昔より小ぶりになったと思いつつ買ってみました。食べてみると、なつかしい味が(ジューシーでなく、ほのかに甘い)。リンゴ箱(なつかしい!)のおが屑の中から掘り出した昔を思い起こさせる味でした。

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2011年

5月

20日

さあ、開始

やっとH/Pを開設しました。(立ち上げる、というのは非適正日本語で、目線と同じく大嫌いな言葉なので使いません)制作はバリバリの若手ぞろいの地元(株)アイ・ツーさんにお願いしました。「観光教室」とはいささかおこがましいのでありますが、あいかわらず「観光」の語源・用例は正しいものが理解されず、「観光稿」(原文を読んだことがあるのかなー)などというものまで現れるしまつ。井上萬壽蔵先生が現状を見たら嘆かれるだろう、との思いから命名しました。

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