2013年

12月

21日

カレー粉と肉エキス②

肉エキスのリービッヒ、といったらまさかあのリービッヒじゃなかろうね、と思ったらやっぱり冷却器のリービッヒでした。ウルグアイに工場(っつーか、作業場かな)を設けてた、というから結構儲かったのではないでしょうか。

それにしても伊藤鶴吉をはじめ、外人案内業者(ガイド)は何をどうやって外人サンむけの料理を作ってたんでしょうかねー。ここはN嬢と情報交換せねばなりませぬのー。

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2013年

12月

18日

カレー粉と肉エキス①

12月8日に厚木の松蔭大学で日本観光研究学会があり、そこで4年ぶりに慶應の院生の御嬢さん(N嬢としときまス)に再開。情報交換ができました。若い、熱心な学徒とは話が弾みますワイ。彼女の書いたエッセーに、マレーのハンドブックに日本国内を旅行するのに、カレー粉を持参すると具合がよろしい、てなことが書かれてるそうなので自前の3版を見ると、載ってない。お尋ねすると4版以降に載っているとのこと。「リービッヒの肉エキス」ばかり頭にあったので、ちょいと驚きでした。なんか、今のふりかけのようなつもりだったんでしょうか。うどんにカレー粉をふりかけて、「カレーうどん」、ってか。するとあれは外人サンの発明品?

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2013年

11月

26日

シティカレッジで観光学を③

後期シラバスです。観光学Ⅱ(日本近代観光史)

①「観光」考(稿じゃなく)、②喜賓会、ジャパン・ツーリスト・ビューロー、國際観光局(1)、③喜賓会、ジャパン・ツーリスト・ビューロー、國際観光局(2)、④日本における外国人リゾート(1)、⑤日本における外国人リゾート(2)、⑥外国人案内業者、⑦通弁巡査、⑧日本海水浴史、⑨村垣淡路守航海日記、⑩ろせった丸、⑪フジヤマ考、⑫ゲイシャ考、⑬丑湯考、⑭客室乗務員、⑮戦時下における旅行制限とガイドブックについて

 

こんなところを考えております。全部研究してきた成果でありますので、聞いてソンはさせません。(おお、なんたる自信)

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2013年

11月

25日

シティカレッジで観光学を②

前期は「観光学Ⅰ」(観光学概論) 短大では1回目をオリエンテーションにしてますが、シティカレッジでは1回目から講義。中間の「理解度チェック小テスト」2回もナシ。こんな具合。

①石川県の観光概観、②「観光」の定義と用例について、③観光の日本史、④観光の世界史、⑤観光と文化、⑥観光資源について、⑦観光の現状(世界における日本の地位)、⑧これからの観光(1)、⑨これからの観光(2)、⑩これからの観光(3)、⑪これからの観光(4)、⑫観光産業(ツーリズム・ビジネス)(1)、⑬観光産業(ツーリズム・ビジネス)(2)、⑭観光と経済、⑮観光とホスピタリティ

 

後期はシティカレッジで観光学を③でご覧くだされ。

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2013年

11月

23日

シティカレッジで観光学を①

来年度、前期・後期に大学コンソーシアム石川の「シティ・カレッジ」で「観光学Ⅰ・Ⅱ」を開講することにしました。無給ですから、別にありがたくもなんともないのですが、まだクビにもならぬのに学校で「観光」を開講できなくなったので新天地を求めたワケでありまス。これぞ「仁義なき戦い」。まあ、それよりもシティ・カレッジの情報を教えて下さった某先生に感謝せねば。

希望(野望?)としては、観光学の開講されない県内の学生と、観光に興味のあるオトナ(ああ、ないヒトはオトナじゃありません)がドッサリ受講してくれんかなー、と思うのですが、さてどうなることやら。シラバス(教科内容)は②に書きます。

 

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2013年

11月

23日

失速気味ながら

これが外国人案内業者5番目の肖像(画像)であります。前回「今年の論文①」を書いた時は4人しか画像がなかったのですが、ヒョンなことから発見しました。いやー、資料は買っておくモンですなー。J. Iguchi氏であります。開誘社のガイドで唯一ドイツ語を話したそうなのでありますが、メンバーには記載なし。


体調不良で観光学会は欠席しましたが、観光研究学会にはちょいとムリして出ます(這ってでも、とまではいかないのですが)。外見(そとみ)は変わらんので同情を引かないのがちと残念。

 

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2013年

11月

01日

蔵書印の貼付場所(考)

(考)というほどのモンじゃないんですが…。なにも表ページ(業界で表1ですナ)に貼るこたァないんじゃないでしょうか。目障りであります、つーか、図書館のセンス(あるならば)を疑うシロモノです。まァ、お借りしたので、「貼りなおせ」とも言えないンですが、こりゃちょっと。

これも含めて、明治から戦前の英文ガイドブックに書かれた金沢(石川)の観光資源についての紀要論文を本日提出しました。いやー、ちょっとシンドかった。図1枚、表3枚以外に16,000字ばかり。できれば手持ちのガイドブック(国会図書館にもないヤツ、もちろん石川県下には存在しないものが9種類)を画像で載せたかったが…。むだにページを食うのでやめときました。そのうち順繰りに掲載いたします。

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2013年

10月

24日

新たな古いガイドブックを見つけました

昭和8(1933)年鉄道省発行のAN OFFICIAL GUIDE TO JAPANであります。例の後藤新平が鉄道院総裁であった時に作らせた「東亜英文旅行案内」の改訂版(日本をメインとした簡略版)ということです。珍しくも金沢大学の図書館から借りたものです(ああ、もちろん四高図書館蔵書ね)。日本の古本屋では絶えて久しく出たことがなく、紀要に載せるためにコピーしまくりました。あー、疲れた。「東亜英文旅行案内」は、まあひどいシロモノでありまして、金沢の箇所はのっけから「Hokuroku Line」まあ、読めんことはないけど北陸をホクロクと読まんでも…。浅野川は2回出てるが、ともに「AMANOGAWA」。どこの川じゃ。兼六園が日本三名園なのはイイが残りが後楽園と栗林公園!そのうえ「KURIBAYASHI KOEN」ときたもんだ。その程度で「世界に冠たる」などとホザイテいたらしい。この改訂版には水戸の偕楽園が記載されておりマス。ちょっと気になるのが両版ともに上杉謙信が卯辰山に城を築いたように書かれてあることで、ホンマカイナと思った次第。

 

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2013年

10月

17日

ガイドの肖像

12月の観光研究学会で発表する原稿がほぼ仕上がりました。「外国人案内業者に関する新たな知見について―ガイドの画像と外国人の記述から―」計5名分の画像を発表します。前回このブログに書いたときには4名だったものが1名追加。昨年12月には2名しか把握していなかったのに、われながら大したモンです(と自画自賛)。少々疲れたので11月の観光学会はお休みする予定。

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2013年

9月

12日

唐崎の夜雨(よさめ)②

原文の該当箇所を読んだら、はたして何も記述なし。夜雨(よさめ)はまさに蛇足でありました。ちなみに、「蛇に足があった!」と時々報じられるのはあるモノの見間違いなのだそうであります。(体調不良なのにアホなこと書いてるナー)

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2013年

8月

26日

唐崎の夜雨(からさきのよさめ?)

相変わらずイトー(伊藤鶴吉)さんの足跡を追っかけております。「初期外国人案内業者の研究」というわけです。「シドモア日本紀行」(原題 Jinrikisha Days in Japan)に少し関連記事が出ているので参考資料にしようと思ってちょいと読んでいると近江八景が出てまいりました。トップは三井の晩鐘(ルビなし)で、フンフンと思ったら次は唐崎の夜雨で(唐崎のよさめ)とわざわざ読み方を書いてある。訳者がアホなのか、校正屋(いくら講談社だっているはずだが)がパーなのかしらんが、幼稚園児よりヒドイ!(滋賀県の幼稚園なら近江八景くらい教えてるんでは?)それとも原文にYOSAMEとなってるのかな、いやいやそれでも直すじゃろ。訳者は1942年東京生まれとなっているから子供の頃に近江八景なんて習ったことがないのかも。可哀そうだねー。

ああ、原書にあたろうと探したらペーパーバックスになってたので早速購入。国会図書館に行くより安い。

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2013年

8月

17日

「回顧録」の怪、あるいは指導力不足

明治期のガイド(外人案内業者)に関する論文で「参考資料」となっていた「回顧録」の作者名に「山中忠雄」とあったのでそればかり探していたが見つからず。それらしい資料をやっと見つけたので必要事項の箇所その他をコピーしたのだが、何のことはない、タイトルに「回顧録」(社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー)となっており、奥付には「編輯、発行者 山中忠雄」となっていたのを山中の名前のみ記載したというわけ。まあ、現在は研究者ではない方に文句を言っても始まらんが、自分だけ研究してるわけじゃないんだから、参考資料くらいしっかり記述してもらいたいもんだ。ナニ、これも指導教官(アンタですよ)がヘボなせい、と言えんこともない。

資料の中身は件の論文にたっぷり引用してあるので、たいして参考にならんが、それでも使える(かもしれん)ものがある。若干、研究が進むことになるのがありがたい。

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2013年

8月

05日

今年の論文①

現在の課題と研究状況および予定掲載誌:

①開墾合資会社の研究、特に命名考と高山開墾合資会社に関する新資料等知見の整理、103回観光学会で発表したものを会誌54号に

②戦前の英文ガイドに表れた金沢(石川を含むか北陸三県に拡げるか)、公開講座「学都石川の才知」(7月6日実施)で講演済のものを論文に。星稜論苑

③明治期の外国人案内業者の画像について、2012年名古屋外国語大学における講演済の資料および1901ブルースターのスクラップブックから新たに採取した2例の画像紹介、および開誘社が明治12年に設立されていなかったことの確証、およびG.Lewisの甲虫採集旅行に同行したと思われる確証等知見の整理。観光研究学会にて発表および論文作成。

④デスティネーション・キャンペーンの研究。県に照会の必要。104回観光学会で発表。学内紀要(経済学部)

⑤馬の海水浴(帝国陸軍資料)の研究、都立公文書館、防衛研等チェック

⑥観光映画の研究

こんなところかな。

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2013年

7月

30日

前期授業終了

あとは、試験を2科目、レポート採点1科目でオシマイ。短大のホテルビジネス受講者と食事をするのが1回。4大のゼミ生と飲み会が1回。その間にアポを3か所取る必要が…。

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2013年

5月

20日

海水浴執筆に着手②

新しい「獣医学史」に期待してたら、「残念」でした。でも参考文献がどっさり掲載されてるので、まあいいか。

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2013年

5月

16日

「海水浴」執筆に着手①

T都M区役所からの問い合わせで資料をひっくり返していたら、やおら執筆欲が湧いてまいりました。とりあえず、寓居に移していた海水浴のファイル12冊(A2用の図面ファイルです。資料保管に極めてグー)を共同研究室に持ち込みました。馬の海水浴も資料として採用するために、目下「日本獣医学史」を読んでおります。4千円で1カ所しか参考になるとこがなかったけど、もう一冊に期待しよう。

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2013年

5月

13日

ブータン旅行記(その3)

須弥山の図だそうであります。まあ、一般人よりは仏典も齧ってるし、わかるつもりでいたのがまったく解っていなかったのがちょいとショックであります。ブータンの仏教が大乗仏教だなんて帰国してチェックするまで解ってなかった。チベット仏教についても事前におさらいをしていくつもりだったのが、全く身近に資料がなく(と言い訳しときます)、知識をひけらかすことができなんだのが残念。

しかしまー、あんなキンキラキン(熊本民謡でなく)な仏様が同系だと仰せられても、ねー。ま、確かに東大寺の毘盧遮那仏も創建当時は金メッキでぴかぴかだったらしいモンね。

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2013年

5月

08日

ブータン旅行記(その2)

ブータン三毛猫
ブータン三毛猫

現地最終日マイナス1日。「虎の巣」とかいう高地の寺院へのトレッキングの途中でへばって第一休憩所でリタイアしたときの癒し猫であります。やたら軽く、かつ愛想がイイ。ウチの猫が見たら妬くだろうなァ。

どうも熱が出たらしく、足腰が不調なのでリタイアしたのでありますが、そこはそれ、転んでもタタは起きない。幾つかの動物写真を撮りました。F/Bのがそれであります。F/Bの猫はゴミ箱の上を徘徊していたヤツですが、ナニ、わかりゃせんやろー、とて掲載したもの(果たして、ゴミ漁りかよ、との声は聞かれませんナ)。

(その3へ続く)

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2013年

5月

08日

ブータン旅行記(その1)

「これでどや!」、とは書いたものの、どっちのお寺だったかすぐにはわからないのが情けない。昨年度の終わりころ、姉からブータン行のリクエストがあったのではありますが、期末の忙しい時期(研究室も個人から共同に移らねばならず、アホな「研究成果報告会」もやり、保護者相談会にも出、義歯も作り、移民資料も拝見せねばならず、なんだかむやみと忙しくしておりました。)なのでぎりぎりに申し込んだら、JTBは参加者少数のため催行せず(チェッ)、スケジュールに合わせて某「風の旅行社」なんぞというところに申し込んだ次第。結果的にはこれが大ヒット!学校の10連休を丸々使って(ああ、真ん中の平日の年休を2日ばかり加えました)のブータン行となりました。(前フリ、おしまい。その2に続く)

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2013年

4月

17日

ヴァン・リードの「商用会話」入荷しました

お待たせしました。新しいデジカメで慣れていないもんですから、ご勘弁。ムシが喰ってる割によく読めます。ただ、カタカナの読みのほうが難しい。「子」が「ネ」だもン。

Shall we take it to your house today(シャル ウイ テーキ イット ト ユール ハウス トテー)

ワタクシドモ。コンニチ。ソレヲ。アナタノ。イエニ。モッテ。ユキマシャウカ

 

We will be glad to trade with you(ウイ ウイル ビ ゲレーデト テレーデウイス ユー)

ワレワレドモワ。アナタノ。イッショニ。アキナイスルヲ。ヨロコビマス。

 

The Custom House officials will examine it(ゼ コストム ハウス ヲフイセルス ウイル エクサミン イット)

ウンジャウショ(運上所!)ノ。ヤクニンワ。ソレヲ。アラタメ。マシャウ。

さすがヨコハマらしく、各地の日本語が飛び交っておるようで、「オカキナサラヌ」の次に「カクコトデケル」ときたもんだ。退屈しない本です。今度の授業に使おう。

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2013年

4月

09日

イトーとLewisの採集旅行

確か、資料が入手できた時にブログに載せたと思ったが、出てこないので再度(のつもり)書き込みを。George Lewisなるアマ昆虫学者が明治14年に伊藤鶴吉を通訳に、小樽から長崎あたりまで昆虫採集をしたらしいのであります。それも甲虫類ばっかし。北大の博物館報に入国・出国の日が自信ありげに書かれているので問い合わせたところ、速攻で回答がありました。ついでにイザベラ・バードのお供のあのイトーがルイスの通訳だったのか、出典は何じゃ、と質問されました。いーねぇ、こういう反応の速いヒトが好きヨ。少々ダンボール箱を引っ掻き回してこちらも回答いたしました。「クロー 日本内陸紀行」というのに出てます。但し、LewisではなくL氏夫妻となっとりまス。(どうも、どこからこの資料に辿りついたんだかよく覚えていない)鶴の字は植物ばっかじゃなく昆虫採集までやっとったんですナー。いやいや、昔の通訳も大変だったのネー。この件については競争相手は他に2人しかいません。京大の金坂と弘大の高畑だったかな。ここらでうんと差をつけとかねば。

 

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2013年

4月

04日

またもや、開墾合資会社

いったい、幾つ書いとんじゃー、というくらい書いたのに、明日は(今日かな)長野の登記所(古い!)で登記簿閲覧。先回はツメが甘かった。明日で決着がつきそうな気はするんですが、さて、どうだろう。

 メンソレの創立者(らしい)が野尻湖開墾合資会社の初代社長であったかなかったか、だけを確認しに長野往復もないモンだけど、ともかくケリをつけなきゃ、ハナシにならんので、行くことにしました。今回は単独行。Good Luck!といきたいとこですが、ネ。

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2013年

3月

31日

すごい!移民資料室(和歌山市民図書館)

夜行バスと南海電車を乗り継いで行った甲斐がありました。実に充実した資料、周囲の理解もあったんでしょうが、資料収集および整理にかける情熱の賜物でしょうな。その方にマンツーマンで2時間余りご説明いただきました。飲む約束をキャンセルしようかと思ったくらい。海外の邦字紙もずいぶんあり、英字紙とは違った研究材料がありそうです。金沢からは若干遠いのがナンですが、泊りがけで読みたい資料が山積みであります。いやー、春休み中に行けてよかった。

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2013年

3月

21日

新しい研究課題②

横浜開港資料館で粘ること半日、収穫あり!1901(明治34)年当時の横浜開誘社のガイドと長崎開通社?のガイドの写真を発見いたしました。これで外人案内業者のお写真が4人分、と倍増であります。Globe Trotterのアルバム(っつーか、スクラップブックとなっております)に載ってました。あと、明治22年に設立された(明治12年、という日本ホテル略史の記述を信用する輩が多いんですが、ありゃ、ウソよ)開誘社には明治25年になっても電話がなかった、ということが判明。(ナニ、当時の電話帳を探しただけですけど、ネ。職業別の区分の中にもありゃしない。クルマ屋でも載ってるのに、ですぞ。外人案内業は職業とみなされてなかったのかも。)

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2013年

3月

20日

新しい研究課題①

いやー、研究費をくれる、っつーんで、泡食って作った研究テーマであります。DC(直流でなく、デスティネーション・キャンペーン)は、前からやってみたかったテーマなんですが、先行研究も少なく(あ、こりゃ、アタシの論文のいつもの前フリです、誰もやってない研究ばっかするモンだから、仕方ないことはアル。)、I県K市には縁のないテーマだったので、これもオモシロイかと考えて小手調べの調査を始めました。なかなか面白い資料が見つかりました。玄人向けの雑誌に載ってたので早速購読することに。でも、つられて旅行に行くのは素人なんだから、もうチョイ露出の(あ、ヘンな意味じゃなく、業界用語でス)多い雑誌に載せてくれりゃイイのに。

 

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2013年

3月

17日

報告会、終了!

ギャラリーは少ない上に、内容の乏しい発表会でありました。あれで研究補助金貰ってるんだったら、来年から「ゼニ返せー!」(あ、こりゃ、露出の少ない場末のストリップの掛け声なんでソーでありまス)のほうがイイ。学生の発表じゃあるまいし、某学長からつまらんイチャモン(としか思えん。アンタも絡んでるのに)つけられるのを恥とすべき(だと思うが、ナー)。

ともかく、「馬鹿の拡大再生論」(ナニ馬鹿が馬鹿を生む、というだけのハナシ)を実感させられた発表会ではありました。でも、発表会やらなかったら、皆、何やってんだろーねー!「カスバ」(っかり)の悲哀を感じた一日でありました。講演会もギャラリーは少なく、割と(おー、久々の褒め言葉)マシな内容(まあ、トシ相応に北陸と三陸をごちゃまぜにしてるトコはあったケド)だったのに、やっぱギャラリーが少ないヨ。サクラはこういう時に使わねば!

 

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2013年

3月

14日

やっと、開墾合資会社

なんだか、「パイプのけむり」みたいになってきたナー。でも、本日、やっと5本目を仕上げましたデス、ハイ。といっても、学内用の報告書でありますから、外部の学会発表用にはも少し書き加えたいところです(それでも1万2千字あったゾ)。ちょうど民法改正案の中に「約款」(ヤッカンデルじゃなく)を加えるなんつーのがあったから、徹底的に宣伝しときました。法学の基礎も知らねェで、約款なんぞ教えるンじゃねェ!ってなモンです。(あ、またウラミを買うのかしら。変なトコに五寸釘打たないでネ)

さて、AJおネェ様、開墾合資会社の解明に納得してもらえるかなー。

 

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2013年

3月

11日

もうちょい!開墾合資会社

発表会用のパワポもできて共同研究者と打合せも終了。あとは、年報用の原稿だけダーイ、と思ってたら、これがなかなか難物。10Pで25字・50行・2段組みだから、頁あたりMAX2500字!6ページってんで1万5千字。ゼミ生だったら失神しまっせ。しかしねー、地方史(or誌)がこんなにイイカゲンなもんだとは思わなんだ(ナニ、半分は思ってた)。

ウソばっかり書いてる、とは言わんが、自分に都合のイイことばっかり書く(悪いことは書かんわナ)もんだから、事実がワカンネェー。こんな資料を金科玉条にして論文書くヤツの気が知れん(あ、いやいや、これが正統派の資料だと信じ込んでるんだもんネ、おお、性善説)。

ああ、そうだ、こんな時には「弦書房」の「本のある生活」を読まねば!畏友(ッつーか、飲み友達)の前山光則氏の随筆です。一読すると、酒が飲みたくなるのでス。お試しあれ!

 

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2013年

3月

09日

まだまだ「開墾合資会社」

報告会だか、研究発表会だかの準備(あ、レジメは出しました)で手間取っております。パワポも7分どおり出来上がってますが、あと少しヒネリを入れて、と。聞いても無駄な(提出レジメではそう思えるが)発表会なら、やめときゃいいのに。それとも、アタシの発表に何かコメントが出るのかな?ま、楽しみにしときまショ。

 

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2013年

3月

04日

ちょっと足踏み、「開墾合資会社」

雑用が入って、足踏みしております。ナニ、研究室を明け渡さなきゃイカンので、片付けの最中(モナカでなく)なのでありまス。手当たり次第状態で運んできた(運ばせた)段ボールを開けて、中身を確認しつつ、ウチ用とガッコ用に仕分けて、それから8階(あ、これが今度の共同研究室、眺めはやたらイイんですが、ジイさんばかり。窓際族の悲哀、ヒワイでなく、を満喫すべく、窓際に席を占めましたです、ハイ。)に運んだり、ウチ(寓居です。愛猫の部屋にデカイ本棚を移設することにしました)に運んだり。

段ボールは愛車(ベンツE430、あ、古いヤツ)に12個は載るんですが、3階まで運ぶと息が切れる、というか汗がー、なので、中身を半分にして階段を昇り降りしておりまス(3階なんですが、結構キツイ)。

3月16日に研究成果報告会、レジメの1枚はさておき、共同研究のレポートは年報に載せるのが6枚(6枚じゃなきゃ、アカンかい?と聞いたら、センセ、6枚になりません?ときたモンだ。よっぽど書けないヤツを相手にしてるようでス。イイヒトなんですが、ネ。アホの見分け方(そういやアホばっかだった)が解ってないみたい。)。縮めるのに苦労してまス。

しかしねェー、60歳を越しても拾ってもらえて、教務も研究もそれなりにこなし、こりゃ、イイ商売でス。3年で論文(と言えるかどーか、は別にして、ネ)12本。昔、年間5本書いてるヤツ見て、ナンでこんなに書けるんや、と思ったモンでしたが、結構書けるモンです(あ、アヤツは学生の名前が結構入ってましたが、アタシ、すべて単独です。すごくない?)

 

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2013年

2月

28日

完成間近、「開墾合資会社」

学内共同研究の、「法学と観光学のコラボ」がまもなく完成であります。申請当初は(申請後も)研究費をチョロまかすんか、と思われていたようで…。そんなセコイことするかい、阿呆たれが!

十勝だけでなく、ほぼ同時期に「美濃開墾合資会社」というのも存在したらしく、士幌町(あ、北海道ネ)に問い合わせたところ(メールで)電話をもらいました。古い資料をあたってくれたらしい。真面目な方々でありました。ありがたいですな。

 ともかく、なぜ「開墾」か、なぜ「合資会社」なのかについての解答ができたので、一歩前進といったところですかな。

 

 

 

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2013年

2月

24日

耶蘇考②

主イエス・キリスト(と、まー学生に教える時には敬意を払っております、当たりまへ、アタリメェーだろ、というなかれ。)の墓が青森の五戸の戸来町(エライ、ちゃんと変換した。郵便番号簿程度のアタマはあるな、このワード!)にあると言うんですが、そんなものよりもっとスゴイのが石川県にある。宝達志水町(これも一発で変換できた、まんざらアホでもないわいナー)

なんと「モーセの墓」!約束の地からここまで「天の鳥船」に乗って来たんだとか。もー、「カナン」なんつったら、また殴られるかな?

 

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2013年

2月

24日

耶蘇考①

寡黙な義父(おかげで津軽弁も女言葉しか上達しませんでしたワイ)が時折話してくれた中に、やっぱり耶蘇の話が出てまいりまして。どうも救世軍ではなかろうか、と思うのですが、太鼓叩いて唄を歌って布教してる後ろに悪童どもがくっついていたらしいのであります。「ヤソを信ずる者は、皆救われん」というのを「ヤソを信ずるバカ者は、皆くーたばれー」といっておったんだとか。(ウマイ!っちゃ、殴られるかな?)

大正半ばのオハナシです。(ああ、どこぞのアホたれの観光学の教科書に「大正半ばにブラジル移民の母国観光団」なんて記述がありましたナー。明治末年に入植してるのに、10年も経たんうちに「母国観光団」はないだろう、といつも蹴り倒しておるのですが(「宮さん、許せ!」ナニ、解らん?)、これをまた丸写しにする参考書もあって、困ったモンです。え、編者?なに、某観光大学の客員ハゲ教授ですワイ。

 

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2013年

2月

22日

リゾートと天麩羅

目下、高山(宮城県)と野尻湖の「開墾合資会社」についての論文を書きまくっておるのですが(おかげで飲みに行けやしない、マァ雪もありますけど)、前回の家康と天麩羅で、軽井沢の天麩羅について書いたのを思い出した次第。天麩羅は天麩羅でも「天麩羅耶蘇」というヤツであります。軽井沢町誌にきわめて悪意に満ちた(きっとヤソ嫌いだったんでしょうなー)記述があります。ナンでも軽井沢避暑団という団体が(もちろん、ガイジンさん中心)組織され、それが物価のチェックをしまくったのであります(まあ、物価高騰で野尻湖に脱出、あ、これもエクソダス?した面々もおられたことなので、わからんでもないのですが)。ついでに、日曜日は安息日だ、ってんで店舗に休業を義務付け、従わない店からは買わない、っていう今ならさしずめ「不買運動」をやったらしい。おかげで表面上は耶蘇信者になった連中がいて、それを「天麩羅耶蘇」と呼んだのだそうでアリマス。(馬鹿だねェ、「開店休業」って札でもブラ下げて置きャー、よかったんじゃない?)

 

 

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2013年

2月

20日

家康と天麩羅②

いやー、「家康の死因」を読んでびっくり!当時の在日耶蘇坊主どもは、みんな家康が一服盛られたと思っていたらしい。そう簡単に毒殺されるほどのタマじゃない、と思わんかったのかネー。第一、毒がそんなになかろうが。河豚はないだろうし、斑猫もまだなかろう、石見銀山もちょいと早い。元気なジイさんがくたばったので、てっきり毒だと思ったのかしら、ボルジア家じゃあるまいし。

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2013年

2月

19日

高山外国人避暑地訪問記

「高山」ったって岐阜県とは大違い!宮城県であります。七ヶ浜という町にある、軽井沢とほとんど同じくらい歴史のある外国人専用リゾートなんです。現在は日本人も若干所有しているようですが、ま、90数パーセントは外国人。ここが野尻湖とちょっと違う。かような日本家屋(いやー、釉薬のかかった瓦には感激しました)が何十戸もあったんでしょうなー。(現在は若干洋風なのが増えていると思われますが。)高台だけに3.11の津波の被害も少なく、他人事ながらほっとしました。(なくなってたら研究対象にならんもんね)

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2013年

2月

17日

高山ビーチカンパニー潜入記?

潜入記になるところが、見学記になってしまいました。七ヶ浜町の高山開墾合資会社には知己がおらず、冬季でもあり、見学不可能ならせめて写真でもと(盗撮ですな)TAKAYAMA BEACH COMPANYの看板のある敷地に侵入、たちまち若いアンチャンに咎められました。そこから話が急転回(コッチの方がピッタリ)。事情を説明し、取材もしくは建物の写真が撮りたいと話したところ、「ちょっと待て、話をしてみる。」とのことで、待つことしばし。来い、という電話が入ったのでおっかなびっくり訪ねてみると、件のアンチャンと老人が待ってました。立ち話でインタビューすることに。来訪の事情を説明すると、老人の方がアンチャンに「案内してやれ」ってな具合になって案内してもらった次第。実にハッピーでありました。

高山に3地区あって、高山・中山・遠山のうち遠山にあたる区画だと思われますが、まず観光学関係者でここに来た者はおらんでしょう。(レポート、ないモン。野尻湖でもそうだったけど、内部を案内してもらった記録は素人サンしかないのであります。何たる幸運!)アンチャンに案内してもらって、古い建物(それでも外人別荘地でありますゾ)の写真を幾つか撮り、最後に論文が書けたら送るよね、ってな話でアンチャンの住所氏名を尋ねたところ、同じ姓のヒトが開墾合資会社の社員であることが判明(登記簿謄本を用意しておいてよかった)。「それ、兄です。」と来たモンだ。「もう一人、同じ姓がいない?」と言われて探したら、ナント、さっきの老人が代表社員であることがわかった次第(オトッツァンでした)。いやー、共同研究にしてよかった。こんな幸運はめったにない。その夜は祝杯、いや帰路もずーっと祝杯を挙げたのであります。

 

 

 

 

 

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2013年

2月

09日

珠洲市、ラポルトすずにて

いやー、書き込みしながら(かつ飲みながら)眠りこけて、せっかく書いたのを消してしまいました。学生どもが来られないので、代ウチで発表するハメに。まあ、それはイイとして、昼メシ時にK大学の可愛らしいお嬢さんとお話できたのがハッピー!でありました。やっぱ、迎賓館で叩いたごとく、K大では「観光学」の授業はないのであります。まちおこし、むらおこしを幾つかやってるようなので、せめて「観光学入門」でも「観光学概論」でも講義すればイイのに(あ、人材がおらんカ!)。

 からかってるわけじゃなく(からかってるけど)、基礎は大事だヨ、諸君。

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2013年

1月

30日

しいのき迎賓館で②

どっちかというと最悪に近い天候ではあったものの、聴衆が来られたことにびっくり。大学だったら、大半は来んだろうというコンディションだったのに。まず感謝。原稿もだいぶ加筆しただけあって、P/P操作しながら1時間20分弱で終了。参考に供覧した「國際観光」と「八重」のガイドブック(兄貴の山本覚馬が書いて八重が活字を拾ったという英文京都ガイド)がけっこう人気。(これこれ、夢中になって、話をいい加減に聴いてたナ)小物は必要でス。

質問3つにも間髪をいれず回答できたので、これも問題なし。従来の講座の内容とはガラリと変えてのものだった(「まちづくり」ばっかりやってた)だけに(というか、「観光学」のない土地柄だから)だけに食いつきがどうか、と思っていたが、やっぱ「百万石」のイメージを引きずっていて、オモシロい反応でありました。健在なり、「加賀乞食」。あ、悪いイメージじゃなくて、おっとり、というイメージを強調したんですけど、ね。それには概ねご納得の表情であられたので、笑いそうになった、とは内緒の話(一応、聴衆の反応は見ながら話はしてるんでス)。次回もお座敷がかかるとイイんですが。大分コンソーシアムをコキおろしたから、どうかなー。

 

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2013年

1月

25日

しいのき迎賓館で①

講演(講義)をすることに。変なタイトルがついてるのでやりにくくはありますが、まあ、県内デビュー戦であります。しゃべりまくってくるかな。

 

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2013年

1月

13日

家康と天麩羅①

静岡で懇意にしていただいた天文(てんぶん、天麩羅屋のぶんちゃん、創業160年!の天麩羅・鰻屋さん、慶応卒)さんからご下問がありました。ナンでも、家康の食った天麩羅を再現するのだとか。2016年が家康没後400年のようで、オモシロソーなので乗ることに。wikipediaを紹介したのですが、それじゃあんまりヨ、ということで業界(あ、学界です)誌を漁ると、出てきました、「家康の死因について」なんていう論文が。さっそく購入してみることに。いやー、やっぱり世の中、いろんな研究をしてる方がいらっしゃるようで。さて、ご下問にお答えするには、何を調べにゃならんのか。食物史、料理史、徳川実記、三河物語、あとは何かなー。そうだ、「築地魚河岸三代目」(あ、漫画です、オモシロイよ。昔と違って、最近の漫画家には知恵袋が2,3人ついてるので。ナニ、知恵袋ったって、知恵があるワケじゃありません、ただの資料さがし。それでも、ヘボな時代小説よりは相当マシ。)もおススメしなくては。

 

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2013年

1月

04日

新年早々

年末年始と寝転がって「コロンボ」を観ています。これがホントの寝コロンボ!いやいや、そうじゃなく。セリフ(勿論、和訳です)の中に気になるお言葉が…。殺人犯の女不動産屋のハナシの中で、安い建売を「文化住宅」とのたまっておったので、びっくり仰天。いまどき、こんなボキャブラリーが使える人間が生きてるとは思わなかった。少なくともコテコテの関西人以外、しかも70歳以上でないとわからんでしょうなー。ワタシ、中京人ですが、文化鍋・文化包丁までは見たことはありますが、文化住宅は見たことない。名古屋圏には存在しなかったモンであります。

びっくりして、今年初めてブログを。書初めであります。22日に頼まれてオハナシを26日には県民の皆様の前で観光学のオハナシをするので、草稿を準備せねば。もっとも、小松空港でクルマを雪から掘り出さなきゃならんかも。

 

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