2014年

11月

27日

観光学会が終わったら

いやはや遠い会場でありました。習志野の演習場より奥だとは知らなんだ。帰ってくればこんどは大阪での学会の出張申請が…暮は忙しい。折角の4連休が金曜日に紀要の印刷屋の相ミツだとかでほぼ半減。ま、これもいたしかたなし。次の学会は発表もなく司会だけだから、まだイイ方。学内ではまた余分なお仕事が回って来るし、これも仕方のないところでアリマス。

2014年

9月

22日

奄美に行ってきました①

バニラエアーの格安運賃があるので奄美に行きませんかというWA大のN君の発案で久々に観光大使らしい仕事をしてまいりました。ナニ、基本的には運転手なんですが、男3人(色気も何もあったもんじゃナイ)4日間で北はあやまる岬から南は瀬戸内町の古仁屋、中部の大和村、最終日は紬観光課まで。ああ、Tさんの県立図書館奄美分館にも行ってきました。(NDLのデジタルデータのプリントアウトにチャレンジしたのですが見事に失敗、でも北陸三県より離島の方が進歩してるのにはハイドンじゃなく『驚愕』。)紬観光課にお邪魔して「着地型観光」の実態を伺ったのでありますが、この話が翌日市長のスピーチに出てた、というのでこれまた『驚愕』!

一つ収穫。島唄を聴かせる店(有名店2軒)で客の遊ばせ方が大進歩してました。あれならリピーターも確保できる。唄者同士で連携してるのかしら。これは紬観光課にレポートしておかねば、と思った次第でありマス。

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2014年

9月

22日

法学との共同研究(コラボ)③

運送規程(大日本航空のですが)を発見しました。時刻表に(抄)としか掲載されてないのでちょっと残念だったのですが、航空図書館で遂に発見!新たな道が開けました。なるほど、運送約款が附合契約になるわけだ。ついでにエアガールの服装規程とサービス基準もゲット。これで論文3本はイケる。

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2014年

8月

25日

航空図書館から資料を

コピーしてまいりました。昭和12年 帝国飛行協会発行 『本邦民間飛行場図』。富山はあっても金沢はなし。まあ、正確な図面があってよかった。

8月も終わりだというのに1回も書いてなかったなー、と若干慙愧の念であります。

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2014年

7月

21日

富山飛行場建設誌、発見!

朝から富山県立図書館へ。「北陸タイムス」に絞ってマイクロフィルムを流し読み。で、昭和8年10月8日(日)が開港日と判明。梨本宮様がご台臨あそばされた。ここらへんもちゃんと事前に根回し済。金沢飛行場とはまったく違う。

開港までの記事を31枚ばかり集めて、新聞閲覧から富山県史を読みに。そこで参考文献に『富山飛行場建設誌』があるのを知り、リファレンスに問い合わせると、なんと所蔵されておりました。早速全頁コピー申込み。合わせて県史も該当箇所をコピー・送付依頼しました。やれやれ、これで金沢と同じスタートラインに立てました。日本の古本屋には出物ナシ。それにしても、隣県なのにこの熱の差は何なんでしょうねー。

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2014年

7月

15日

紀要論文のタイトル、できました

紀要「星稜論苑」用の論文タイトルができました。「金沢飛行場と富山飛行場および戦前の航空事情について」(仮称)であります。まだ金沢飛行場の開港前後の新聞記事と若干の史料を集めただけですが、夏休みをかけて富山県立図書館で富山飛行場の記事を探します。これが星稜論苑最後の投稿になりますかな。別稿では国際観光年を取り上げるつもりです。

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2014年

7月

02日

今年の論文のテーマが…

まだ、決まりません。国内航空運送約款の研究はそこそこ進んでいるので、これはよし、として、次なるテーマが出てこない。愛国金沢飛行場と富山飛行場でも書いてみようか、と思ってるのですが、これは紀要に書くことにして、では研究学会に何を出そうか、これが目下の悩みのタネであります。

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2014年

6月

04日

法学との共同研究(コラボ)②

法学では共同研究者にかなわないので、古いところを穿り返しております。参考資料もだいぶ仕入れました。日本航空輸送やら大日本航空やらあったのに、「運送約款」って、なかったんだろうか、という疑問が湧いて調べてみたところ、「運送規程」(キホド)というものがあったことが判明。ただ、全文でなく(抄)しかないのが残念なところ。戦後国内航空再開の折、ポツダム政令で定めた中に初めて「運送約款」という言葉が出て来ております。

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2014年

6月

04日

重文内の自販機

Facebookで重文の四高記念館には自販機がないと嘆いたら、和大の院生N君が教えてくれたので、昨日講義前に覗いてみました。なるほどあった。なんでこれに気づかんかねー。まるきり無関心で展示物を見てたに違いない。とにかく水分補給に大和デパートまで歩かなくてもよくなりました。

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2014年

3月

21日

DVD入荷しました①

2月下旬から3月アタマまでまたもや姉のおともで中欧に行ってきました。チェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリア4ヵ国(なんか分離したので1国増えたような気が)8日間。移動1日、観光1日という慌ただしい(というよりはせちがらいような)旅でありました。

収穫、つーか戦利品。チェコで買ったJAPONSKOというDVD。内容がスゴイ!(あ、別に変な意味でなく)①日本紹介、②高山、③金沢、④能登半島、⑤広島、⑥宮島、⑦直島、⑧京都となっております。一度見た限りでは合掌造りだの高野山?だの、大阪(住所表示から地名は確かだと思います)だの含まれてるので、複雑な構成なのでありましょうが…。こいつはシティカレッジで紹介しなくちゃ、と考える次第。

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2014年

2月

19日

カレー粉と肉エキス⑤

アーネスト・サトウの旅行日記1・2(平凡社東洋文庫544・550)にリービッヒの肉エキスが出てました。

①なぜか2巻第11章 ディキンズと富士山へ 1877

7月30日「4時に起床しリーヴィッヒのスープをつくりそれを飲みながらビスケットw食べた。」p111

②1巻第3章 悪路・険路の針ノ木峠と有峰伝説 1878

8月4日「残っている持ち物といえばリービィッヒの小瓶、瓶詰肉の入った半分空の缶箱、1ポンドのチーズくらい」p117

 

期待はしてなかったけどこれもまた抄訳で、しかも仰々しく「日本旅行日記1・2」などと題しおって。ま、少しは役に立つ程度でス。Liebigだからリービッヒでいいところをわざわざ(あるいは知らんのか)リーヴィッヒだのリービィッヒだの書きおって。ま、唐崎の夜雨(よさめ)よりはましかも。

 もっとも野麦峠のところで『麦を意味するものではなくこの付近一帯に自生するクマザサのことで』と馬脚が出たね。おいおい、実だよ、実!えーと、彼は私より14歳年上ですな。勉強の足らんおひとでス。

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2014年

1月

29日

カレー粉と肉エキス④

出ました!これが件の肉エキス!N嬢から頂戴した資料の参考文献からあっちゃこっちゃ飛んで見つけ出しました。なんでも、商品のおまけ(グリコみたい)についたカードだったらしく、めったやたらに売りに出ております。安いのは数百円程度。缶詰だったり、瓶詰だったりといろいろ絵柄はあるのですが、調理に使っているのはこの画像のみ(いまのところ、ですけど)。

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2014年

1月

22日

フットパスを歩く③

この階段を上がると禄剛埼灯台に行けるのであります。以前は道の駅のすぐ横手からダラダラ坂を登ったのでありますが、こちらの方がずっとイイ。

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2014年

1月

21日

フットパスを歩く②

5限終了の学生を収容して(それでも30分遅れ)バスはひた走り、20時30分過ぎに珠洲ビーチホテル着。ただちに晩飯。その間、部屋割り。本来なら女子学生は一部屋に押し込めのところ、4人欠員が出たのでツイン2室をアサインしました。たまにはサービスせねば。

某室で酒盛り。休憩所で買ったつまみが足らず、手土産のヨックモックを開ける羽目に。やっぱ、つまみは多めに買っておくモンです、ハイ。それにしても、よく食う奴らでありまス。

さて、翌朝。6時起床はお約束。早起きは老人の常で、各部屋を叩き起し、7時に朝食。やっぱ、よく食う連中でした。7時半出発が7時40分くらいで済んだのは上出来。地獄の1丁目へのご案内、と思ったら、さほどのこともないウォーキングツアーでありました。小雪が降りしきる天候。予め支給したビニール合羽とホカロン(貼らない大2、貼る小2、靴下用1)は早速奏功。翌日リクナビ予定の連中に風邪でもひかれちゃたまらんモンね。

美女K嬢とベテランガイドOさんに案内され、屠所のヒツジよろしく12名は歩きだしました。

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2014年

1月

11日

カレー粉と肉エキス③

N嬢から有難い情報を頂きました。マレーのハンドブック、初版にはカレー粉じゃなくて、リービッヒの肉エキスが掲載されていたとのこと。いやいや、かような情報があると、現物にお目にかかりたい、と思うのですが…。味わうのは140年も経ってるので無理だとしても、容器だとか、ラベルだとか残っておらんもんでしょうか。

明治時代には「外人サン」は何を食っておったのだろうかというのを今年のテーマにしようかと思ったのですが、ガイド(外人案内業者)研究の裏テーマみたいだし、新進の社会学の学徒を料理研究に引きずり込むみたいで気が引けます。なので勝手に調査することに…。火星の運河で有名な(でもないか)パーシヴァル・ローウェルが能登を旅したのが明治22年、その時高崎駅で「ゆでたまご」を売っておった、と書いております。しかるに、漱石先生(福沢先生と同格にしている訳ではございません、念のため)が阿蘇に登った明治32年には、熊本県阿蘇郡内牧で女中サンが半熟卵を知らなかった、という記述が出てきます。半熟の意味が解らない女中さんに説明して出てきたのが片方は生卵、片方はハードボイルド。女中さんをなじると、「半分、煮て参じました」と答えるあのくだりです。いやいや、変な雲行きになってまいりました。

 

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2014年

1月

10日

フットパスを歩く①

能登キャンパス構想事業で予算がついたので、珠洲市のフットパスを歩くことに…。なにも冬のこんな時期に、とは思いますが、調整がさっぱりうまく行かず、後期に入って学生のスケジュールは就活一色で空きがない状態。翌日が休講日という16日を選んで、必然的にかようになった次第。それでも実施できてよかった。これも向かいの席に座るS先生に話したおかげであります。先生の教え子でフットパスの選定などを手掛けたKさんに(学生どもの大先輩であります)ご案内頂ける幸運もあり、なんとかいい結果が出せればいいな、と思っています。天候は(Kさんからの案内には「雨天決行」とありました)穏やかそうなので「波の華」はあまり期待できないかも。

フットパスはイギリスで歩いてきたので、それとの差についても何か指摘できることがあるでしょう。さて、画像はどこにいったかな?

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