2012年

12月

16日

学会雑感

いやいや、トリの発表で時間的には楽であったが、ギャラリーが少なく、ナンか意図的なものを感じたのであります。同室の発表者の中で、チョイと気になるヒトが(いやいや、美形とかそんなんじゃなく)。どうも江戸時代には庶民が(だいたい町民ですから、その日暮らし。宵越しのゼニは持たネェ、じゃなく、持ってねェ連中)湯治に出かけたりしてた、と誤解しているフシがありあり。Facebookにも書きますが、貧乏人が湯治に行ったら干乾しになること がまるでわかってない。たぶん、センセイが悪いんだろうね、あのハゲ。指導教官の言うことを大人しく聞いておかないと、まあヤバイことになるのはわかるんですが、基本が理解できていないのは、ちょいと困る。ハゲの意見に縛られると論理まで無毛(いや、不毛だったか)になるのでは?

0 コメント

2012年

12月

04日

やっとカタがついて

論文4本、講演1本が終了。今年中にやるのは、高校の出前授業2コマだけ、と思ってたら、来年の研究費をやるから申請しろ、という有難いようなどうでもイイようなオハナシが。しょうがないので書類の作成にかかることに。なんか、申請しないと「ネタ切れかヨ」と思われそうなのもシャクなので明日1日かけて申請することに。ヤレヤレ。R大学の出版物に共同研究の成果を掲載しようとしたら、原稿出してから掲載されるまで1年かかることが判明して、やめようか、と。よっぽど査読ができるヤツがいないのネ。それともそんなに忙しい?イヤイヤ、そんな訳、ないね。能力不足なんでしょうね。馬鹿馬鹿しいから、よその学会誌で発表することにしました。これなら半年で済むもんネ。なるほど、金取られて、待たされて、修正要求されてたアホがグズる訳だ。同情?しない。

0 コメント

2012年

11月

28日

準備、OK

これが、「ハコダテ」こと、堀辰次郎の画像であります。撮影は明治15年、場所は厳島神社、撮影者は臼井秀三郎。と説明ができるのも偶然の産物(ナニ、謙遜ですワ)。ハコダテ=堀と言うのはマレーのハンドブック第3版(1891)を見なけりゃわからない。でも、見たからって分かるモンでもないワケ。これを引っ提げて、名古屋で講演するというハナシであるのです。伊藤鶴吉の画像は少し世に出てますが、こっちは知られてません。私のようなヒマ人がいなかったら、こいつも埋もれてたんでしょうなー。

0 コメント

2012年

11月

22日

あと、一週間!

さて、来週は、12月1日に名古屋で講演(のようなオハナシ)、それが終わって仙台に行こうと思いましたが、翌日の発表が一番最後の組、の一番最後だったので、東京で一泊することに。明日からの連休で、それぞれのパワポを仕上げることにします。O観光大学の紀要の初校があがってきたので(なんと、昨年より3頁増!)それも片付けねば。12月1日のタイトルは「初期外国人案内業者の風采について」(あ、これサブタイトル。メインタイトルは別。)なので、目下化粧品の調査などいたしております。10間先まで匂う(より臭う、かな)ポマードをぬたくったおアニィーさんを再現できるかどうか。でも、過去の研究の中で使えるネタが結構あるので、抱腹絶倒のオハナシになるんではないかと考えております。審査結果発表前の重苦しい雰囲気をブレイクできるかな。あ、学会発表もあったけど、これは質問できるタマがいないので(多分)しゃべりっぱなしでいいんじゃないか、と思う次第。

 

 

0 コメント

2012年

11月

13日

戦時下のガイドブック④完成

昨日、ようやく完成しました。写真4葉は印刷屋と相談が必要ですが、ま、これで今年は4本目が完成。「海水浴+しほゆあみ」、「國際観光局の観光映画」、「海外におけるゲイシャのイメージ」、「戦時下の旅行制限とガイドブック」まあ、次から次へとよく書けるモンです。

0 コメント

2012年

11月

05日

戦時下のガイドブック③

お蔭様で(かどうかは知らねども)どうにか、カッコがついてきました。「旅」の後追いじゃない、モノホンの旅行制限および運賃値上げはほぼまとめあげ、目下ガイドブックも九分通り仕上がりました。あとは、修学旅行を書き加えて、なんとか締切までには完成だーい。これがすんだら、往時のガイドの風采についてのP/Pと仙台での研究発表用のP/Pを作成にかからねば。それにしても、順番を一番最後に回しやがったのは、何か魂胆でもあるのかな。ヴーゼット、コンタン?なんちって。

0 コメント

2012年

10月

31日

戦時下のガイドブック②

「旅」ばっかりで片付けようなんて気を起こすから、あんなツマラン論文になったのネ。目下、先行研究(と言えるほどのモンではないけど、一応アタシよりは先に手つけた、ということで)の洗い直しをやってるんですが、さあ大変。「写真週報」なるプロパガンダ雑誌が出てまいりました。早速注文済み。もちろん、先行研究には言及一行もなし(アホだもん)。

さらに、昭和19年3月14日まで、旅行制限などなかった、ということも発覚!「察する」文化に毒されておったのでしょうか。世の中、そんなに甘かーねーゾ!、というか一般ピープル(パンピー、ですナ)のババイロの根性にゃ負けますワ。なんせ、「贅沢は敵だ」、というのに一言加えて「贅沢は『素』敵だ」と書くくらいだから。

0 コメント

2012年

10月

28日

戦時下のガイドブック①

戦時下の旅行制限については昨年ツマラン発表を聞いた(見た)ので、それよりはマシなものを書くつもりです。学園祭やってる最中に書いてるので資料を研究室から抱えて職員室に籠っております。JTBの70年史と50年史を参考にするつもりだったのが、結局使えるのは50年史だけでした。なんで、70年史になるとこんなに質が落ちるのか。NYKでもそうでしたが、どうも中だるみしてるのか、編纂室の質が悪いのか、役に立たんシロモノが多い。

0 コメント

2012年

10月

26日

ゲイシャ、完成

完成と言えるほどのデキではありませんが(謙遜)なんとか完成に漕ぎつけました。当面の目標であった、セントルイス万博のアホ論文をシバキ倒したので、まあ、良しといたしましょう。日露戦争の真っただ中で、船会社は全部召し上げられてるのに、アメリカ船を値切りまくって万博の荷物を全部輸送し、イメージ向上のためにルーズベルトに「武士道」を読ませて、かたわら債券を売ってるのに、何が「ゲイシャで日本のイメージ形成」だ、馬鹿言っちゃいかん。平和ボケするとこんな論文までネットに載るから怖い(選ぶ方も選ぶ方だけど、ネ)。でも、いろいろ勉強になりました。三田村鳶魚の「江戸芸者の研究」も読んだし(いやー、読みにくい文章でした。オッサン、博識だったけどあまりアタマがよくなかったと見える。)、買い集めた本の棚卸の感がありまス。ゲイシャとペリクレスの愛人、アスパシアの対比が気に入りました。立教の総理、イキなこと言うじゃないの。

 

0 コメント

2012年

10月

19日

奄美のお仕事!桜マラソン!

2013年は奄美の桜マラソン(ハーフ)で幕開けとまいりましょう。沿道ではばーちゃんがチヂン(太鼓、ツヅミからの転訛)で応援してくれます。(ちなみに、私、金もらっても走るのは、嫌!)

マラソンはともかく、奄美よいとこ、一度はおいで!何がいいって、すべてイイ!海は、沖縄がビーチなら、ここは「浜辺」だぜィ。ビーチソングならアホみたいだけど、浜辺の歌なら郷愁さ。「タラソ竜宮」なんて名前はひどいが中身は絶!露天風呂めぐりなんぞ、ヤメナハレ、と言いたくなるような楽しさがここにはある。島唄もウチナーヤマトグチなんぞでない、モノホンの、歌垣の再現がある!飛鳥だ、奈良だ。奄美に来なくて日本文化の源流がわかるか!(とは言い過ぎでなく、実感です)

 

0 コメント

2012年

10月

17日

ゲイシャ論(本道)

セントルイス万博で日本政府がパンフレットにゲイシャを刷って宣伝にこれ努めていた、という何ともウソ臭い論文を確かめようと、昨日からクロニクリング・アメリカというデータベースを読んでおります。1903年にものすごくオモシロイ記事が。なんと、GEISHA GIRLなる3歳の牝馬が頻出してくるのであります。戦績などはまだ調べていませんが、実況中継(があったら)ではアナは何て絶叫したんでしょうかネ。「ゲイシャ・ガール、逃げております。逃げるゲイシャ、ゲイシャ逃げる、ゲイシャ逃げる」なんてったら、日本じゃ抱腹絶倒になったと思うんですがネ。1904年は目下チェック中なんですが、1905年あたりではゲイシャなんていうウェイスト・コート(胴衣、つーか)やら、匂い袋やら、扇子やら下着やら、いっぱい出てきております。とてもフジヤマ化粧水なんぞの比ではありませぬ。さあ、明日は朝からゲイシャ三昧だーい!

 

0 コメント

2012年

10月

02日

ゲイシャ論(横道)

ちょいと思いついて(ナニ、戦後すぐの国会答弁の中に「外国航空会社の日本案内にはゲイシャが書かれとるゾ」という発言なんですがネ)外国航空会社の日本路線のポスターをチェックしてみたら、サア大変。ゲイシャだらけじゃあーりませんか。14枚くらいチェックしたんですが、SASの1960年のオネーさんが一番イロッぽい。地球を手玉にとって、左30度に流し目でっせ。あたシャ金沢でこんな目つきするオネーさん、見たことない(笑)。SRの1963年モノはJALが少しあとで出した松園の図柄と同じもの、お互い(つーか、JALは昔からぬかりがあったのネ)知らんかったのかな。ま、「外国でイメージされてるゲーシャ」がテーマでありますから、これも大いに参考にさせていただきますがね、ちょっとオドロキでした。BAの資料が結構多いので、お好きな方はお試しください。ハマること、請け合いです。アタシも好きねェー。

0 コメント

2012年

9月

30日

國際觀光局の観光映画④(オシマイ)

本日、やっと完成しました。4ページ、ぎっしりで6,800字。あとは年代と漢字の変換ミスをチェックするのが残ってます。娘がそばにいたら、アルバイトでやらせるんですが、残念ながら。それでも、映画のタイトル数だけで従来の資料の4割増しになりました。本文にも書いたんですが、観光映画に関する公文書がヒトツもない!のはどういうわけ?いや、ちゃんと調べてますから、鉄道省國際觀光局関係の文書はあるにはあるんです、ケド全部人事関係のモノばかり。よっぽど「戦争協力」と言われるのが怖かったのかしら。それとも進駐軍(ナツカシー)がかっさらっていったのでありましょうか。何年もかかって貯めこんだ資料がやっと使えました。こいつを科研費に応募していたら、また今年も発表の機会をなくすもんネー。皆に知ってもらわねば。

 さあ、机の上を片付けて、ゲイシャの準備だーっ。

 

0 コメント

2012年

9月

29日

國際観光局の映画③

どうにかカッコがついてきました。(ちょっくらちょいとパーには、なりゃしません、ハイ)年代別、㎜別、言語別の表を作り直したら疲れました。それでも一覧表で把握できるのはありがたい(自分に感謝!)。それにしても、英独仏はおろか西、伊、中(支とありますが、現代風にしました)、はては馬(馬来、マレー語)、泰(タイ語)、タガログ語、安南(まあ、ベトナムか)語まで出るに及んでは、先人の気配り(なのか、気づきなのか、アタマなのか)にはマイッタ、マイッタ。

さて、これでタイトルと本数を確定して、あとは製作の意図を書き込んで、文化人による批評を付け加え、まとめと今後の課題、注と参考文献をいれたたら出来上がり。さあ、ゲイシャが待ってるゾー!

0 コメント

2012年

9月

22日

読者が一人減りました

朝まで会の中核(派じゃありません、念のため)、中M氏が逝かれました。何でじゃー、と言いたいところなんですが、それはおいといて。アイデアもヘッタクレもない金沢の観光(これは正論ですゾ)を憂いていた貴重な人材(と貴重な師匠)がいなくなりました。これで金沢の観光は5年は停滞するでしょう。彼の前では、金沢がいかにつまらない町であるかを力説(基本的には、それは今も変わりませんが)していたのが、伝わる人間がいなくなってつくづく残念に思います。

0 コメント

2012年

9月

16日

あら不思議!

今年は講演のクチが2つもまいりました、これも御仏のお導き、有難いことでございます(と敬虔なブッディストとしては言っておかねば)。一つは「昔の」ガイド(外奴なんて揶揄されていた、と国会答弁にありますです、ハイ)について。もう一つは「学都○○の才知」(オコガマシイ、と感じたアナタ、健全な常識人です) から来た「学都○○の観光学への挑戦」というあら不思議!なタイトルであります。「…、への挑戦」(そのむかし、二段に分けて書かれたために「××大学、への期待」で盲腸の術後の期待を書いた受験生がいたそうですが(アタシなら特待生にしたいが、標準的には不合格でしょうね。)、これは学都が「観光学」に挑戦しとるんですかいノー。上等じゃナイの。イヤイヤ、そうヒネクレんでも、「観光学」に挑戦しようとの意気込みなんですかナ、といい方に(いいように)解釈してお引き受けいたします。で、今までの「○○学」の内容を総ざらい(イヤ、久しぶり)したら、各論ばかりで「観光総論」がないので、ここいらへんをやってみようと思います。少しは知的な講演を、と期待して来られる方にサービスしなくちゃ。

0 コメント

2012年

9月

14日

能登の「雲助」

「瀬戸の花嫁」と語呂はあっておりますが、中身は大違い。復刻版「旅」、昭和9年11月号、P91「旅のお半と長右衛門」(三角寛)に穴水駅前の乗合自動車の運転手の乱暴さを書いているのですが、「客を取ってしまへば、あとは俺のものだといふ腹が質朴だけに露骨である。(中略)まるで雲助のやうなやり方だと思った。」とあります。「質朴だけに」とは言いえて妙。

同じ号のP81にもっとスゴイのがあります。「こっちがお客だかあっちがお客だか何だかわかりはしない。鉄道や船の従業員は近頃そのサーヴィス振りは実にどこもよくなったが、恐ろしくサーヴィスの悪いのは航空会社の従業員だ。まるで大官のやうにおさまってゐて不親切以上に横柄無礼だ。それでも日本航空会社はまだいい。満洲航空会社ときたらたまらない。」とは子爵・三島章道。航空会社でメシ食ってただけに、かような記事(いやー、初めて読んだ!)を見ると内心忸怩たるものがあるのです、ハイ。

0 コメント

2012年

9月

12日

國際観光局の観光映画②

英文のタイトルをつけなきゃならんので「観光映画」って何つーんだっけ、と考えあぐねた結果Googleでひいたら「Tourism Film」というのが出てきたのでこれにしました。戦前のフィッツパトリックなどはTravel Filmなどと書いておるのですが、やっぱTourismのほうが、らしいやと思ってこっちにします。ところでCIFFTなる団体で毎年観光映画(Tourism Film)のフェスティバルをやってるらしいのでありますが、日本はメンバーに入っておらん様子。UNWTOもPATAも協賛(かな、Endorsed byと書いてある)してるのに。あ、参加は別に観光後進国じゃないですよ。 2011年(23rd)のグランプリはメキシコ(観光客数は日本の3倍ね)、その他オーストリア(同3倍)、ポーランド(同約2倍)、ハンガリー(同約1.33倍)などなど。この国にしてこの努力!尖閣も竹島も観光映画に仕立てて、「こんなイイ環境のところなので、近隣が不法占拠したり、横車を押したりしてるんですよ。皆さん、見に来てェ。」と東京ローズ(ナニ、知らない?)ばりのナレーションを入れて出品したらどんなもんかしら。

0 コメント

2012年

9月

11日

國際観光局の観光映画①

を今年の研究学会(in Sendai)で発表することにしました。毎年科研費に出しては落ちてたので、世人に知らしめようと思い立ったしだい。矢先に、「國際観光」が4冊も売りに出たので、買ったところが大間違い(炊事洗濯まるでだめー、じゃなく)謳い文句に「國際観光協会」と書いてあったのに届いたのは「國際観光株式会社」となってるシロモノ。ナメたらあかんゼ、古本屋!

以前にも英語版というのを買ってみたらドイツ語版というのもあったが、まあ、これは許した。今回のは気に入りませんなー。何年商売やっとんじゃー、と言われてもしかたなかろう?

まあ、こんな会社が同じタイトルの雑誌を出していたことがわかっただけが収穫か、というところです。さあ、お仕事お仕事。

0 コメント

2012年

8月

25日

韓国での学会が

ようやく終わり、3週連続出張のケリがつきました。夜行列車が姿を消したおかげで、金沢(サンダーバード)・京都(ムーンライト、夜行バス)・博多(ビートル)・釜山とややこしい乗継でした。帰路は全州午前3時(唄じゃなく)のリムジンバスでソウル着06:00(07:00の筈だったけど)09:10発のKE便で小松着11時過ぎ。特急バスで金沢の自宅には12時着。AIR・SEAの好例として授業に使おう。

0 コメント

2012年

8月

01日

前期終了!

 今日から試験です。(4大は昨日から)3科目中2科目を終了しました。あとは6日の試験と7日の監督をやるだけです。それから穴水、長野・黒姫、全州と続きます。忙しいのに、また仕事が増えました。中身は内緒です。

 別のオハナシ。1年生のプレゼミで拾ってもらえなかった連中が5人ほどいまして、そのうちの一人が昨日1階で号泣しておりました。やっぱ、大学に来てまで、センセに見捨てられたのが悲しかったらしい。思わず救ってやろうかと思いましたが、ちょっとタンマ。大体、14人平均だというハナシが、ナンでアタシのところに18人来るワケ?まあ、このテのゼミでは25人抱えたこともあるので別にオドロキませんがネ。さて、どうなるかな?

 

 

0 コメント

2012年

7月

26日

チーム穴水始動

大学コンソーシアム石川「平成24年度地域貢献型学生プロジェクト推進事業」に採択されたので穴水町に調査合宿に行くことになりました。8月9・10日です。今年はゼミ合宿の予定がないのでこれも良いかと。

0 コメント

2012年

7月

17日

夏になると

いずことからもなく電話取材が入るようになりました。なに、「海水浴」の起源についてです。今年はホールド・オンとかいう番組の担当者から「大磯は日本初の海水浴場といってはまずいでしょうか」とのお問い合わせ。何のことかと思ったら、どうもクイズ番組のネタのチェックのようでした。さすが天下のN放送、少しは調べておられたようですが、それをかたっぱしから論破されるもんですから困ってました。「よくご存知ですネー」とお世辞を言ってくれましたけど、当然といえば当然ですよネ。(こっちの知識にゃ、相応のカネがかかってるンだモン)

0 コメント

2012年

7月

03日

穴水町の観光スポット採点

なる「地域貢献型学生プロジェクト推進事業」が大学コンソーシアム石川から選ばれたので、この夏は昨年に続き穴水町のアテの木の香のする小学校に出かけることになります。さて、「短大生の女性目線でチェックする」観光スポットとなると、ちょいと難しい。

 なんせ、「ボラ待ちやぐら」と「鋳物館」くらいしか土地の人でも思いつかんはず。一応観光マップがあるので、それから何かモノになりそうなものを掘り起こすか、と考え、①さしあたり廃線の跡をたどる、というので廃線前ののと鉄道のDVDを買いました。②それから、パーシバル・ローウェルの「NOTO」を購入したところ。③地図をよーく見ると、「旧海軍潜水学校七尾分校石碑」というのがある。こりゃ「海猿」にならんかい。(旧海軍、つーのが気に食わん。なぜ「日本海軍」と言えんのだ。)④いさざ(踊り食いのシロウオ)漁(なんと町役場のすぐ前!)⑤本州最後のトキの捕獲地なんてのもある。⑥ほんとは能登ワインにカキにあうようなワイン酢を作らせたい。(焼き牡蠣ばかりじゃ、飽きちゃうヨ)⑦白山神社と穴水大宮に置かれている大砲(「謎めいている」なんてアホなことを書かんで、来歴でも調べんかい!)

0 コメント

2012年

6月

28日

ゲイシャに迷って

困っております。ナニ、今週末(明日)までにO観光大学に提出する論文のタイトルのことです。(モノホンに迷うほどカネがないのは周知の事実)モーリス・デコブラ、ライザ・ダルビー、キク・ヤマタなどの著書を集めたので、ネタには困らんのですが。「ゲイシャ」は英文でどのように紹介されていたのかを書くつもりなのであります。(もう少し考えてみよう)

で、決めました。「海外における『ゲイシャ』のイメージについて」であります。漠然としてますけど、ここらへんが妥当か、と。大体、ゲイシャが世界に出たのは慶応3年のパリ万博だったはず。見世物だったようですが、ここらへんから書いていかねば、と思います。愛知淑徳大のK女史のバカ論文をまたヤリ玉にあげなくては。

0 コメント

2012年

6月

20日

ウワバミソウ

ご近所から「カタハ」という山菜をいただきまして、調理してみました。ナニ、普通のブログじゃなく、観光スタイルでありますから、一味違う。青森県ではミズと言ってる、けっこう馴染みの山菜、つーか野菜です。和名をウワバミソウと申しまして、大蛇が人間を食った後に消化するために食った草ということになっております。これを真似たアホがソバの大食い大会に出て、途中で厠に行ってこれを食したところ、(ちっとも帰ってこんので、皆がのぞきに行ったら)本人が溶けて、着物だけ残ってた、つまり消化薬でなくて、「人間の消化薬」だった、つーハナシなのであります。

 かほどに近い石川と青森!ねぶた温泉、つーのに惹かれて入りに行きましたが、ラッセラー(おはやし)でなくてただの「寝てる豚」でした。(弘法大師伝説のヒトツであります)風呂の入り方の説明に豚(ピンクの)が出てました。(豚キャラっつーたら哈日杏子サン、元気かしら)

 本日、「観光 地歴論」でギリシャ神話をしゃべりまくって来ましたが、大学生はポカーンとしてました、困ったモンだ。(もっとも古事記をしゃべりまくってもポカンとしてたので、まあ、単純馬鹿なんだと思いますが)も少しノリのイイ学生を教えてみたいと思いますケド、ちょっと無理かモ。(知識的にぶちのめしたら、登校拒否になりそうだモン。ま、エリート、を教えるのも考えものカモ、です、ハイ。)

0 コメント

2012年

6月

16日

これも仁和寺の法師、か

仁和寺が出入りの茶店を追い出したとかで、裁判になって負けたそうであります。ナンでも追い出した理由が「すき焼きや酒を提供するのは、宗教上の戒律に反する」のだそうでありまして。いやいや、双ヶ岡の上から仁和寺を眺めては(また、よく中まで見えるんです。兼好サン、あそこの坊主がよっぽど嫌いだったとみえます。)今どきの週刊誌の記事と大して変わらんシロモノを書いてた兼好法師ですから、生きてたら今回の事件も、「これも仁和寺の法師、Part3」になったのではなかろうかと。世界遺産もさほど観光面では効果はなさげでありますが、こんなんでまた有名になったりするんですかなー。するってぇーと、ゴシップも新たな観光資源!?

0 コメント

2012年

6月

11日

ゲイシャにムシが①

ゲイシャにムシがついたのでなく、ムシにゲイシャ(geisha)がついたハナシです。並行作業でやってたゲイシャ論でCiNiiを調べたら、てふてふに3種類、嫁が君(正月だけ)に1種類ありました。あと、コーヒー豆とかランの新種(こいつはゲイシャ・ワルツになってます)まである。もちろん、論文には書きませんが、理科系のセンスもたまには悪くない。

0 コメント

2012年

6月

09日

殿暦があー!

ナ、ナント。関白藤原忠実の日記、殿暦が欠落しとりました。それも8例も、です。W大のドクター後期のおアニイさんが書いたものの中に入っていたのを見落としてました。全体がツマランもんだったので馬鹿にしてたのがイカン。で、めずらしく在庫のあったI県立図書館で調査、けっこう間違いも(こら、アホ院生、推敲ぐらいせんか!)長治元年を長元元年としたり、承徳2年11月12日が永久2年9月12日になってたり、中右記を小右記としたり、こんなモン載せるなよ、吉川弘文館!あ、指導教官がダメなのネ。

今日はも一度I県立図書館に行って、あと2例にあたってきます。(続く)

0 コメント

2012年

6月

05日

体験!「七橋渡り」

昨夜(本当は彼岸の中日の深夜だそうなんですが)学生18名、教職員10名で歩いてまいりました。上流から7つの橋を一筆書きのように渡るのであります。(オイラーのケーニヒスベルクの橋とはちと違う)「まいどさん」の爺ちゃん2名プラス見習いさん1名が案内してくれました。よー知っることはよー知っとるんですが、時々ポカを。四万六千日(金沢では観音院)でトウモロコシを境内で「焼いて売ってる」とノタマワレマシタ。この一言で尊敬の念が吹っ飛んじゃった。やっぱ、ボケ爺さん。縁起物を焼きトウモロコシにしたら、アンタ地獄に落ちまっセ。

(追記)中Mさんのハナシによれば境内じゃなく、焼きトウモロコシは参道で売られているのだそーです。まんざらボケてる訳じゃなかったかも。 

0 コメント

2012年

5月

31日

「紀要」って何だ?

全州での発表用の資料を整えるために本日は某K大学の図書館分館に行ってまいりました、つーか迷ってまいりました。いやー、聞きしに勝るタコ足大学(って昔は言ったモンですがね)なんで1か所にまとめんのでしょ。道路標識とアクセス図に迷わされてエライ目にあいました。それでも欲しい資料(ナニ、昔コピーは取ってあったんですが、例によって山の中。探すより新規の方が早いと思ったのが甘かった。)それでもお目当ての資料が入手できたから、ま、良しとせねば。それでもA4一枚が35円ツーのはちと高くないかい?一応(ゴメンネ)国立大学(あ、行政法人か)なのに、よっぽど金がないのかな。と、まー、ここら辺は午前中。午後は授業を1コマやったあとで紀要に関する会議であります。内容はなかったけど、結構盛り上がりました(何のコッチャ)。でも、教育に手一杯で紀要に書くまでに至らない、という話も出たんですが、これには異論あり。大体、教えるのに汲々としていて、研究ができるのか、つーかナンデ授業の準備にそんなにかかるワケ?(たいした講義もデキンのにサ。)3大学を回って、紀要にも7本掲載したんですが、今のS大学は紀要が、査読(読めるヒトのアタマにもよりますが)がないから査読付きの論文の評価の6掛けなんだそーデス。馬鹿だネー。短大部になって、紀要も吸収されるのか、と思ったら、掲載論文が吸収する先の倍くらいの本数があるので、結局独立したママになるようです。やったね、学の独立!

でもねー、紀要ってその年の研究内容の発露(言い過ぎカモ)なのに、なんで編集委員しか書けないんですかネー(そんなハナシでしたけど)。研究もしてねーから、満足な授業もできねーんじゃないの?(あ、また、敵が増えたカモ)

 

0 コメント

2012年

5月

29日

「しほゆあみ」付記

「国歌大観」のデータベースを教えて下さったAセンセに成果物(一応リストアップしたやつ)をお渡ししたら、さっそくご感想を頂きました。次回は法学だけじゃなくて国文学とのコラボ研究をやるかな?ま、アタシャ法学も(あ、法学部出なんでス)文学も常識程度の知識なんですが、今回資料をひっくり返していてまたもやアホ(私じゃなく)の転写ミスがある論文を発見!「老若男女」を「老若男子」と書いとるのです。いくら理科系とはいえ、変だと思わんのかネー。

 Aセンセの疑問は「どんなふうにしてしほゆに入ってたんだろう」というモンでありまして。これは藤浪剛一さん(モチロン、戦前のヒト)がいろいろ書いてますがイマイチ明白でない。

 ところで、先年O観光大学に寄稿しようと思った原稿を読み返していたら、既存の論文その他をぶった切っていたことを再発見。これを全州で発表してみるかな。論調はこのブログよりもっとキツイ!(でもホントのコト言ってるだけだモン)

0 コメント

2012年

5月

26日

追加!「しほゆあみ」

いやー、マイッタ。徳川光友が13年間に29回も潮湯治に行ったことが書かれている「名古屋叢書」なるシリーズ(名古屋の徳川美術館のとなりの図書館蓬左文庫に揃ってます。愛知県立図書館は欠本が多い)を転写していたら、武士に潮湯治に知多に出かける際は隠居であっても届け出るように、とのお達しが書かれた「尾州触帖通辞留」を書き落としてることを発見。さらに同図書館でコピーを取った(5年も放置してました。ま、物持ちがイイといいますか)尾張名所図会の原本をチェックして抜けを発見したというわけ。あわてて追加して、どうにかモレがないものが完成。同時に東北アジア観光学会での参考文献をリストアップしたら33件になりました。さて、困った。新編国歌大観を一まとめにして数を減らすかなー。トータル112例(有馬のしほ湯を除くと109になります)、いやー、よう調べたもんです、ハイ。(相当粘着質なのかもしれませぬ)

0 コメント

2012年

5月

25日

完成、しほゆあみ②

で、6月末までの作業(これが工程表)ですが、海水浴の知見(つったって、大抵は愚見です。イナバノシロウサギが海水治療の好例なんて書いてるヤツ、おっとこれでも某大学教授、アタシのゼミなら絶対不可!もまだいます。観光学界には常識人はおらんのケ、あ、金沢弁になっちゃった。)を簡単に整理して(というのは、つまり愚見をブッタ切って、ああ、また敵を作っちゃう!)「しほゆあみ」を紹介する段取りにしております。なんせ、データベースとして11世紀初めから19世紀まで連綿と続く「しほゆあみ」ですから、「どこぞの土地の特異な風習」なんてアホな意見(愚見でした)は完全に抹殺(秒殺)します。ま、過去に書いたモノを叩かれるのはお嫌でしょうが、進歩してないんだからしょうがないんじゃない?あたしゃ、間違いを認めた時はすぐに訂正してますけど!

 

0 コメント

2012年

5月

25日

完成!しほゆあみ①

先月からの作業、しほゆあみ、がやっと一段落(まだ、作業は続くんですが)しました。74項目に出典を書き込んで、ページ数をつける、というこれまた辛気臭い作業(これで内容は完全に7,000字を超えました)。木曜日は毎度授業がないのでI県立図書館へ。古典俳句体系(だったかな、ちょいと変わった本は、あるんです)を借りて、俳句(俳諧か)で唯一しほ湯が出てるページをチェック。ついでに狂歌大観があったもんですから、これもチェック。あるもんですねー、4件ほど拾いました。もっとも全部「有馬のしほゆ」です。さらについでに(ナニ、隣にある本をついでにチェックするだけですけどネ)。現代短歌で2件ありました。1件は斎藤茂吉(せがれが潮浴に行った、とありますが、こりゃ、茂太さんかな、マンボウさんかな)。2件目は土屋文明(塩湯にするのに塩を一叺、フィートじゃなく、カマス、買ったというんですが、カマス見た人いますかねー。アタシャ、風呂沸かす石炭を叺で買ってた覚えがあります。やっぱ、時代錯誤で生きてますかね。)続く

0 コメント

2012年

5月

15日

奴らを高く吊るせ!

「新幹線開業」を迎えてのキャッチフレーズが「石川百万石物語」になるんだそうですが、気は確かなんでしょうか。だいたい、「石川」の意味がわかってない!「石だらけの川原(手取川だそうです)にある県」の意味で内田政風が命名して美川に県庁を移転した時の名前でしょ。ここの怨念がない、とは、情けない県民性ですなー、だいたい、百万石を否定し去るためのネーミングと百万石がマッチするのかねー、考えてもわかりそうなモンですが。あ、考えられないか。そこは、考えてもらうことにして、「物語」っちゃ、何かね?一昔前は各地にバウムクーヘンの安物が出回って、「…物語」は中心に餡を巻いたもの、「…の女」はクリームだったはずですがネ。何か、安物の不出来な駄菓子のネーミングみたいで、アタシャ嫌いです。これから地元紙に反対意見を出します。賛同者を募ります。合言葉として、西部劇よろしく、かようなタイトルにしてみました。観光関係者、首を洗って待つべし。(あ、タイトルの意味がわからない?だから文化果つる地なんです。)

 

1 コメント

2012年

5月

14日

まだまだ「しほゆあみ」

土日をかけて、ようやく国歌大観の整理ができたので、和歌と漢文体(純然たる漢文じゃないので)の日記を編年体に組み合わせたら面白いんじゃないか、と考えついて表に並べ始めたら、サア大変。年代の確定してるのは他にもあるし、そいつを入れないテはない、と入れ始めたら、モット大変。10年近くかけて集めてきた資料がやっと陽の目を見る!(たった一行なんですけどネ)。73件の90例くらいあって11世紀初頭から幕末までラインアップ。東北アジア学会の基礎資料には惜しいくらいのデキなので、どこかで発表しようか、と。表の中身だけでも6,000字くらいあるので、能書きを加えれば12000字はカタイ。無理をカマシますかなー。久々に静岡で集めた資料を読み返したら、駿國雑志の記述が間違ってることを発見。江戸時代でもドジ踏むヤツがいたんだナーと、安心した次第、でも間違いは間違いです。どうも先行資料に引きずられたらしい。今も昔も地史はあてになりませんワ。地元の歴史好きな有力者(土地ゴロ、ですかな)に書かせるからこんなことになるんですけどね。まあ、一概に責められんことはあるんですけどネ。皆オカミに弱いモンですから、信じちゃうワケ。罪ですなー。あとは研究者(と思ってるヒト)がイカン!力(チカラ、です)がないなら、無理しなきゃイイのに。

0 コメント

2012年

5月

09日

また「しほゆあみ」

本学のA先生に 「日本文学WEB図書館」なるものをご紹介いただき、早速加入しました。A先生のご好意でアウトプットしていただいたものはさすが、スグレモノ!ちゃんと「しほゆあみ」が詞書で出てきます。無知は驚きの母とはよう言った。国文学の世界も進んでるんですなー。遅れてるのはウチの学界だけかも(もっともこれなんぞ、使い道がワカランかも)。公家の漢文日記は整理がついたので、和歌の詞書の収集・整理にかかります。連歌(といっても宗長だけなんですが)を含めて室町時代まではカバーできました。江戸初期からの分は別途資料を入手済みなので、東北アジア観光学会のネタはほぼ完成。なんか、オソロシイ内容になりそうな気配であります。

1 コメント

2012年

5月

08日

続々「しほゆあみ」

大体、テイをなしてきたような気がします。本日は漢文日記の整理と和歌集の整理のための枠づくり。過去の資料で11例あったヤツに新たに8例(新発見)を加えて時代別に整理し、しかる後に詞書を同様に整理し、両方を編年体で整理しようというワケ。ま、これは単行本用の作業ではあるんですが(それでもさすがにキツイ!)資料の件数を把握するためには避けて通れない。

しほゆあみの資料は僅かながら増加いたしました。でも宗長の文章も入れねばならず、明治以前の海水浴の資料の整理って大変なんです。適当にお茶を濁せる方々がアタシャ、羨ましい。

0 コメント

2012年

5月

02日

続・新幹線が来る!

日本にカジノを、などという愚論があります。なに、新しい着想だと思っているフシがあるので「愚論」というだけです。80年も前にこうしたアイデアはあったワケ。昭和10年4月発行の國際観光3巻2号の19ページに大谷誠夫が書いてますから、ごらんになれば。

さて、中M氏とカジノなんか作らなくたって、既成のモノで十分ヨ、というハナシになっております。北陸3県には競輪・競馬・競艇があり(私ゃ、競艇推進者、だって日本で生まれた唯一のギャンブルなんです。)、漢字系の外国人が喜びそうな富・福が揃ってます。もっとも金のかかるハナシなのに「石」はいかにもマズかろう、というので金・福・富にして呼び込みを、というところでこの北陸ギャンブル・ロードをどう命名しようかと悩んでおります。昨日辞書をひっくり返しつつ、やっと一案。「三競之道」でどうや!(3Kの道、と間違わんかな?)

ああ、外国人対策では競馬が最も遅れております。JRAは多言語対応になってますが、地方競馬はダメ(英語対応にはなってるようですが)競輪も進歩してます。金沢競馬、「きばらんかい!」

1 コメント

2012年

4月

27日

続「しほゆあみ」

国歌大観をチェックしたのは4年以上前なので、もう一度じっくり調査(精査ですかな)してみるつもりで取り組み始めたら、まあ、抜けてること。さらには見落とすこと!(いやいや、数年前の自分もそうアホではなかったと安心したり、今回の見落としに気落ちしたり、まあ大変な作業であります。よく気が付いて、辛気臭い作業に耐えられ、かつ頭の回転の速い助手が欲しいと思います、ソンナノイナイ、か。)昨日も8百頁の第3巻を読んできました。以前のリストアップしたぶんを持参しなかったので、帰って突き合せたらモレを発見した次第。さて、この作業をどうまとめるか。平行して行成の「権記」の現代語訳中の塩湯のチェックをやってるんですが 、どうも有職故実ばっかで事実がつきとめられません(読みにくいこともある)。

さて、今月中に発表のタイトルを提出せねば。

0 コメント

2012年

4月

22日

新幹線が来る!

というのに、施策は何もなし、というのではちょいとマズかろうというので委員会を作った(立ち上げ、というのはアタシャ嫌いでネ)らしいんですが、地元側ばっかりで、JR(西、それから発地だから当然東も)が入ってません。こんな調子で委員会(イインカイ)!グリーン車一両を借り切って(ワゴンリみたいなもんです、ワゴンリ、知らない?あら勉強不足)芸妓衆を乗せたり、太鼓の練習でも三味線の練習でも何でも体験、なんてアイデアを出すのはわれらが中M氏くらいしかいないのでは?結局、皆その日暮らし(From Hand to Mouth:食うに精一杯とも訳せるかな)に追われてるんでしょうかね。そんなに給料もらってませんか?それともやる気がないのかな(コッチでしょうな)。学識経験者を入れてないのには敬服、だってイネェーモン。ま、それはおいといて、「上から目線」が強すぎるんじゃない?ここにこんなイイもんがあるんだモン、来ないヤツはアホだモン、なんてね。これが理解できないと新幹線は地元衰退の原動力になりまッセ。

1 コメント

2012年

4月

19日

始動!海水浴(しほゆあみ)

木曜日は講義がなく、本日は朝イチに県立図書館へ。(そうしないと車が置けないワケ)一日かかって国歌大観の第一巻(800ページ弱)を読破してまいりました。ナーンていうとカッコイイんですが、「しほゆあみ」というのが詞書にあるやつをチェックしてただけです。それでも、自前の本じゃないので(そのわりには鉛筆で○だの線引きだの、見開きで10か所以上も書いてるのがかなり見られる小汚い本でありました。I県人の常識を疑います。I県人じゃないかもしれんけど。当然、図書館には付箋をつけてクレーム、いや文句じゃなく単なる指摘、をしておきました。大体ねー、○だの線だのひかなきゃ記憶に残らん、つーのはアタマがワルイ証拠です。)注意して扱いました。1日1巻じゃ効率が悪いので2巻目は自前で買いました。これで往復の時間と駐車(バックで入れにくい)の時間、メシの時間が節約できます。成果ですか、以前のデータにプラスできる発見が2件あったじー。(なんか、こういう使い方をしてるヒトもいるので使ってみました。いいジーばっかりじゃないみたい。)

0 コメント

2012年

4月

19日

東北学院百年史

入荷いたしました。いやいや、今春は大部のモノを買い込んで、置き場に困るくらいです。なに、百年史の成果?ま、ゆっくり(というワケにもいかず)読みたいのですが、どうも明治期の日本キリスト教教化史および地図がないとハナシにならんようです。科研費のテーマをこっちにするかな。鎖国解消後の基督教の草刈り場(なんか、第二次大戦後の奄美大島みたいです。沖縄も含めれば、ものすごいセクトが出張ってきてますから。)だった日本の蚕食地図、とでも申しましょうか。こいつはひとつ理科系と組んでみますかナ。

0 コメント

2012年

4月

13日

十勝開墾合資会社②

イヤイヤ、送料が1200円もかかるというので、期待してたのですが、期待を裏切らないそのボリューム、1350ページの大部、内容は期待を裏切って、なーんもなし。でも、こういうものは参考文献のところが参考になるからいいんです、と負け惜しみ(それでも役にたたなけりゃ、漬物のオモシにでもするさ)。高山外国人避暑地の生みの親たるシュネーダー先生の記事は載ってないわけがない、とこれも期待しつつ東北学院100年史を申し込みました。ひょっとしたら津波に乗ったタッカー先生の話がでてるかも。ああ、タッカーホールのタッカー先生であります。

0 コメント

2012年

4月

10日

十勝開墾合資会社なる

「なう」でなく「なる」会社が明治30年に存在したらしいのであります。Googleで時々チェックしているのですが、たまたまヒットしました。(いやいや、クリーンヒットです。高山も野尻湖もこのパクリかも知れない。)で、そこらへんが掲載されている清水町史というのを注文しております。なんか、送料が1200円かかるとかいうので、どんな大部のものかワクワクしております、ハイ。ま、これは本格的な開墾会社であったようですが。

てなぐあいで法学とのコラボは着々と準備を進めております。研究費の執行計画書も今週中に提出せねば。

0 コメント

2012年

4月

04日

捲土重来

科研費はまたもや不採択でありました。新設・時限(3年限り)のジャンルなので希望を捨てずに(以前はジャンルもなく、社会学なんだか地理学なんだか、ヌエのようなジャンルでした。あのアホなジェンダーが分野に容れられてるのに、です。観光学ってジェンダー論以下かい。)はいたんですが、どうも観光史は旗色が悪いみたい。ま、研究者自体いないので、(私以外はネ)こうした結果はわかってはいましたが、昨夜はまたもやヤケ酒(笑)であります。

 ま、それはともかく、学内で研究費の予算が出たので、今年も研究活動ができます。(あ、予算出なくてもできるんですけどネ。一応それなりの給料は貰ってるので。)今年は韓国・全州での「平安時代の海水浴」から始めて(これの締切が一番早い)、夏には「開墾合資会社」の調査・研究、12月アタマの案内業者に関する講演の資料作成(2本ほど書いた論文にさらに加筆してパワポにしたいと考えてます、ちょっと現役の通訳・ガイドにはキビシイ話なんですが、ま、弁護士だってその昔は三百代言って言われてたんですから、まけといて頂きましょう。大体、ここらへんの資料を漁ってる研究者っていませんから。)あとは、ゲイシャ論(フジヤマ・ゲイシャの片割れとしての、です。芸者の淵源から、サラッと書いてみたいのですが、フジヤマより難しそう。場は確保してあるので、フジヤマよりページ数を増やして、日本語訳も入れたいと考えてます。大体、資料が限られており、アタマの古い、つーか、ワルイのが書きなぐったものもある、結構あります、ので玉石混交の中で賽の河原をやります、ナニ、一つ積んでは母のーためー、ですな。それから科研費。昨年は根性入れて、メシタキ女にもわかるように(あ、白楽天にならいました)書いたんですが、メシタキ女以下だったようで、今年はレベルをぐっと落として書かねば。それから、学内の紀要(予算はついたのかな)にも書いて、と。いやいや、遊んでるヒマがない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0 コメント

2012年

4月

01日

平安時代の海水浴②

さて、新年度から書初めとまいりましょう。日本人がいつから海水浴、つーか海水に浸かってたかというと、まあ、祝詞(ああ、入学式じゃなくて、ノリト)やら日本神伝流(古式泳法です、カイロにもあるようですが)にあるように、イザナギノミコトが黄泉国(ヨモツクニです、はい)の穢れを払うために「ヒムカノオドノ…」と言ってますので(ああ、稗田阿礼は猿女の君の一族で女だったらしいのでありますが、ヨモツヒラザカは山陰あたりにあって日向とはだいぶ離れてる、地図が読めないところから、あ、こりゃ、絶対女であったワイ、と改めて思った次第)このへんかと。魏志倭人伝にも出てますが、こりゃ、職業人です。ま、禊らしいのも書いてはありますが。で、信用が置けるものというと、平安時代にいかざるを得ないワケ。いわゆる「しほゆあみ」というヤツです。「しほ」は塩もしくは潮、ゆあみは湯浴みですが、イマイチしほ+ゆあみなのか、しほゆ+浴みなのか、よくわからない。つまり、冷浴だったのか温浴だったのかがわからない。いくら重箱のスミをつつくような国文学でもここまではヤランもんね。すでに国歌大観から数十例を拾ってるので、ネタには事欠かないつもりですが、これをどうまとめるか、がポイントなのであります。例の「総ざらえ」をもう一度やらねば。韓国・全州市での発表がタノシミです。

0 コメント

2012年

3月

31日

平安時代の海水浴①

いやいや、平成23年度も本日でオシマイ。ブログもそこそこ書いたし、(誰だか読んだヒトが、こいつ刺されるゾ、と言っておられたとか、ま、大丈夫。刺せるほど度胸のあるノはいないし、書いてあることは事実だモン。刺す度胸とヒマがあったらもっと勉強すればいいんでス。アホが何言っても無駄ですな。)でも、昨年度3本、今年度4本と論文を量産しとります。今年度はフジヤマと豪日ガイドブックと通訳ガイドの取締と海濱院を題材にしました。年くってから馬力がかかるのはナンなんですかねー。前任校では日曜締め出しだったので、毎年1本ペースでした。あたしゃ、貧乏性なんでしょうかね、以前は年間5本も書いてる某T京工大のオッサン(ニイチャンかも)を尊敬の目で見てましたが、そうたいしたことでもありませんな、尊敬(あ、モチロン本気じゃないですケド)して損した。

因みに、科研費の前祝は昨日いたしました。(愛猫とはもう数回ヤットルんですがね)これで取れなきゃ、ヤケ酒よ!

0 コメント

2012年

3月

27日

始まり始まり!

4本目を提出し終わったので、次の課題に取り組むべく、古本屋漁りであります。今年は「戦時下の観光」に取り組もうかと。昨年の学会でチト食い足りない発表を2件も見たので、それならひとつやったろうジャン、と思い立った次第。食い足りなかった方々、ごめんネ。でも、お蔭で、いい買い物ができました。JTBの50年史と70年史が格安で買えたモン(と思いますが、売り切れの可能性もないわけじゃないので)。あとは、戦前のガイドブックの焼き直しらしきモノを数冊、特に戦中と戦後の対比ができるようなものが買えました(と、これも思う)。

2012年度の予定です。科研費がどうなるか、で変わると思いますが、今のところの予定としては、法学とのコラボ1件(ああ、開墾合資会社の研究です)、12月に名古屋で通訳ガイドの歴史についての講演(というよりは幕間の軽いオハナシ)が1件、8月は韓国で口頭発表(平安時代の海水浴です)、それにこの「戦時下の観光」、あとは「ゲイシャ」(フジヤマはちょいとまとめたので、その続き)をO観光大学の紀要に、おっとウチの紀要もある、トータル6本!ボケてなんかいられませんです、ハイ。

0 コメント

2012年

3月

25日

4本目終了

さきほど、やっと書き終えました。6,000字ばかりの小論文ではありますが、やっとまとまった感じがいたします。なにせ、テーマである「海濱院」について書かれた論文は日本には一本もないのでありますからして。そのあと、学内用に報告書を作成し、これで約2,000字。論文そのまま掲載すりゃラクだと思うんだけどナー。

続きを読む 0 コメント

2012年

3月

10日

ただ今四本目執筆中②

明治中期(ったって色々あるんですがね、まあ中期)のドイツ海濱院の料金が出てまいりました。ところが、これが当時の日本円のいくらにあたるかわからない。「長期統計総覧」にはドル・ポンド(磅、ですけど、某船会社の歴博の学芸員、カナ、はこれをドル、と表記してまいりました、メールでですが、アンタ、明治時代に豪州がドルなわけないジャン)・フラン・ルピーしか載っておらんのです。しかたなくNDLで探そうかと思ってましたところ、思いがけなくI県立図書館でリファレンスのオネーさんが教えてくれました。NDLのを一応リストアップしてあったんですが、そのうちの一つが(復刻版ですけど)あったというわけ。イヤー、助かりました。で、料金ですが、当時の鎌倉海濱院(その時点ではホテルに鞍替えしてましたが)より安い!鎌倉海濱院が設立日ならずして潰れるのがわかるような気がします。運営形態は習い覚えてきたのでしょうが、経営形態までは習ってこなかったものと見えます。明治人もこの程度だったんでしょうなー。小賢しさが計り知れるような気がいたします、ハイ。(明治をやたらありがたがるようなヤツ、まあ坂の上の雲氏もにたようなモンですが、はアタシャ好かんのでス)

0 コメント

2012年

3月

04日

ただ今四本目執筆中①

海濱院を書いておるのですが、「海濱院」の呼称の仕分け(ホンモノと海水浴場の僭称と結核療養所とレジャーランドに分かれます、結構メンドクサイ)と鎌倉海濱院の記事の整理で手間取りました。新島襄がここに滞在したのは拙稿「第二次世界大戦以前の日本のリゾートについて」執筆時に集めた資料(あ、結構マメに集めトルのです)で知ってましたが、それを引っ張り出すのに時間がかかりました。まあ、お蔭で同志社OBの調査結果(ナント、海濱院の写真のネガを持ってる神社があるのだそーです、一遍見に行かねば)も判ったし、看護婦(史料ですから看護師とは言いません。あ、こりゃ某大学へのイヤミかな)の歴史も勉強しました。新島は「看病婦」と書いておるのですが、前年自分の作った養成所の名前も「看病婦」となっておることを知った次第。あ、このへんの研究もまばらで、内容もマダラです(つまり、ボケてる、と言いたいワケ)。史実だから皆同じ記述かと思いきや、ああここらでやめときましょう、時間のムダ。(続く)

0 コメント

2012年

2月

26日

2.26に雪が降る

この間積もった雪が消えかけた、と思ったらまた雪になりました。名残雪かね、とも感じたのですが、なんと本日2.26.雪になるのも当然か。(ちなみに、東京も寒かったようです) ところで、同事件の犠牲者の一人である、高橋是清についてが本日の主題でありまして。幕末にヴァン・リードという「不良外人」がおりまして、これが高橋ともう一人を(二人とも仙台藩の留学生であったようですが)奴隷に売ったのであります。なんか、「坂の上の雲」(テレビドラマのほう)でも語学教師であった高橋が「英語ができんかったために、売られた」ことを学生(悪たれぞろいだったようです)に話した由、娘からご注進がありました。(ドラマもたまにはマトモなことを取り上げるモンです)

このヴァン・リードについては、私、終始「不良外人」説を唱えておりますが、世の中にはアホがおるもんで、「新聞を発行した、商用英会話の本を作った、だから当代きっての文化人であった。」という愚説を唱える輩がおります。高橋が奴隷に売られた(まあ、奴隷契約をさせられた、というほうが正しいのでありますが)のは実にこの「新聞」にヴァン・リードが掲載した広告によるものでありまして、「文化人」説を唱える件の輩はこれを読んでいないものと見えます。そのほかにも「ヘボンが帰国した際に墓に詣でた」ので「善人であった」という愚説を唱える輩もおります。ヘボン先生(ああ、最近これもアホがヘボンでなくヘップバーンと書いてますが、だれも銀幕のことを聞いてるわけじゃなし、本人も「平文」と書いてたのでヘボンでいいんじゃないの。内容の不足をこんなことで糊塗しちゃイカン)、とんだところで片棒を担がされておりますが、これこそ「情(ナサケ)が仇(アダ)」になったというものです、ハイ。

0 コメント

2012年

2月

25日

ちょっと弁解を

時々夜中に目覚めてブログを書いておりますと、やたら過激に書いてしまって翌朝「ちとマズイか」というような記述が(全文マズイ、ものもありました)あるので、時々削除しております、ハイ。守り本尊は虚空蔵菩薩なんですが、背後には馬頭観世音がついておられるようで。(ほら、罵倒観音、なんちゃって。)

夜中か夜明けにご覧になると削除前のヤツがご覧いただけるかも。いつの間にか消えたナー、なんてのは削除したとお考えください。

今日は亡父(オヤジ)の誕生日でありますが、口の悪いのも遺伝でしょうかネ。(まったくツマランものだけが似るのでありマス。)

0 コメント

2012年

2月

25日

ミキを宣伝する

モデルじゃありません、飲み物です。母親(99歳、大正元年生まれですが、明治45年が7月末に終わってから10日ほどで生まれたので、明治末年の生まれといってもいいでしょう)の食が細くなった(というか、メシがマズイと食わないらしい)と姉が心配して手配を頼まれ、早速奄美大島(奄美市)のTさんにお願いしたところ、すぐご手配いただき、入手したしだい。(Tさん、送金が遅れてスミマセン)

ミキの説明をしますと、やや甘い濃厚な米の飲料でありまして、作り方は「山里の酒」なる本(前山光則 著、私もよく登場しております、上田あるいは上田卓爾が40か所近く出て、最後の座談会を仕切っております、ハイ)に詳しく書かれております。民俗学では「第4の酒」なんつーヒトもいるようですが、まあ、儀式用に作られたアルコール分のない米飲料と言っときます。奄美空港の売店で夏場には売られております。夏バテ防止の飲料であります。ストレートよし、ミルク割(Tさん、これがお好き)もよし、ただ街中ではミルクとまごう容器に入ってますのでご注意。メーカーも数少ないのですが、イイもんです。沖縄産と称するものが九州で自動販売機に(缶入りで)売られておりますが、飲めたモンじゃなかった。結論ですが

「ミキは奄美にかぎる」!やっと大使らしくなってきた。

0 コメント

2012年

2月

25日

王立海濱院

さて、シラバスもできあがり、新学期の準備が整いつつあります。来期は「観光地振興論」・「観光地歴論」・「観光文化・社会論」(「CS理論と実践」もあるのですが、観光関連からは外すことにして)を新規に開講します。振興論以外は4大での講義になりますので、張り切って前任者のシラバスをなで斬りいたしました。4大生、首を洗って待つべし。短大の「観光概論」終了生より知識が不足していたら(ああ、第2講でレベルチェックのテストを実施する予定です)ぶっ飛ばしモンです。もちろん、教えたセンセが悪いわけでなく、自分たちの責任ではありますがネ。

 前ふりが長くなりましたが、ようやく標記の論文が整い始めました。何とか来週中にカタをつけたいものであります。貧民救済、結核対策、幼児優先など日本の海濱院とは趣旨が大分違いますが、そこはそれ、200年も続いたところですから、それなりに研究する価値はあるというものです。まあ、日本の海濱院に関する論文は一本もない(どころか、私以外言及したものもない)ワケですから、pave the wayというところでサクッと書いてみます。ああ、論文のPDF化も頼まねば。

0 コメント

2012年

2月

19日

金沢ご案内②

さて、二日目であります。帰りの汽車(電車よりサマになってる気がしますがね、新幹線よりローカル線!ってのはこりゃないか。)が17時56分だったので時間は十分、ところがアホな教授会があって、全行程ご一緒できない。それでも、朝からひがし茶屋街(朝から花街歩いてどうすんネン)、心の道(もう少しマシなネーミングはなかったンかいね。あのケッタクソ悪い「哲学の道」よりよっぽどオススメなんですが。アタシャ、ガイジンにはピッタリだと思うんですが。まあ、軒先を紅毛碧眼(これは一発変換しました、ワードもまんざらアホじゃない。)がノシ歩いたンでは土地のヒトもおイヤでしょうケド。(考えたんですが、関所作って、木戸銭徴収して町内会とお寺さんで、ああ神社もあるけど、配分したらどうですかな。K都みたいにお寺ごとにテラ銭取らんと。)疲れたところで昼にはハントンライスじゃろ、というところで界隈の、ナニ、中M氏の隣なんですがネ、お店にいったら、こりゃまたガンコに(金沢弁でなく)15分前に開けてないワケ。しかたなくサ店にシケコンで時間をつぶし、大分待たされてようやくハントンライス(ハントン風!と書いてありましたがネ)にありつきました。ああ、先日フードピアランド、だったかな、に出かけましたが、ハントンライスは出てなかった。(3周したけど、見当たらなかった。ヨソのB級グルメは見かけましたが)それでも、地元の牡蠣を焼いて食うセクションが中央に設置されてたのは昨年より大分マシでした。(昨年は牡蠣も能登牛もホントのスミッコだったモン。こいつら、ア、企画者ですね、アホじゃ、と思いました。で、進歩したかと思いきや、牡蠣は各自で焼かせてるンです。やっぱり、アホじゃ、だれが日常、牡蠣なんぞ、焼いて食うかい。そこが分かってない。H国新聞、アタマを使いナハレ。ま、余談は置いといて、ハントンライスのあとはお土産を漁り、市民芸術村(このネーミングも気に入らんけど、まあ通称なので)にご案内し、あとは教授会のあと合流して、お別れした次第。S教授とご同行のNさん(某O市立大学院生)のご希望の半分以下しかご案内できなかったけどご勘弁。

反省:8番かチャンカレ、いやいや55でもご案内したほうがよかったかね。いや、それでは中M氏が唸りそう。これにてご案内の顛末終了、チャンチャン、と。

 

0 コメント

2012年

2月

17日

金沢ご案内①

先日書いた部分が消えてしまったので、改訂版を。この場所が即答できたら、あなたは立派な金沢人(KANAZAWANというのかな)です。ご一緒してるのはO観光大学のS教授、真ん中に鎮座ましましてるのは市役所前のWisdom(叡智)というキテレツなモニュメント。どこかの予備校の玄関に飾ったほうがイイのでは?現に某YY木予備校は玄関に現代アートの巨匠(これは間違いなく)流政之のモニュメントを飾ってます。

金沢ご案内一日目:正午ご到着後、治部煮(単品)でおひる。(駅中で1軒だけありました。あとは金沢名物らしきものが食べられる店はなし、ああ、F屋のスイーツ(エラソウに、甘味でええやんけ。)もありましたな。学生から得た情報ですが、こりゃイイ。)

次いで目細八郎兵衛商店(これは金沢検定にでたことなかったような、殆ど知られてない)、中島めんや(戦前の観光案内にもちゃんと出てる)。両店の本店を訪れました。品物はもちろん、「本店」の響きがイイ(L.ヴィトンの本店に行列した日本人女性の気持ちがわかろうッてモンです)。近江町市場を通り抜け(ちょっと戻って金魚焼を買って2個ずつ歩きながら食いました。これは買い食いにはヒンがイイ、なにより小さいモン!某米帝の影響か、巨大なハンバーガー(サザエさんでは半馬鹿!と表記されたこともある)やソフトクリームより女性のお口にぴったり。(なに、女性らしさがなくなったヒトには巨大版でよろしい)、尾山神社、能楽美術館、21世紀美術館、県立美術館(国宝色絵雉香炉!見てなきゃアナタはヨソのヒト)、伝統産業工芸館(ここに松平定信揮毫の、キゴウが変換できない!アホワード、「兼六園」の額があります)で5時間。あとは暮れかかる卯辰山界隈を見下ろしながら観光物産館に寄りつつ、チョイと白鳥路に立ち寄って、金沢検定でおなじみの三文豪のモニュメントをひやかしつつ、中M氏の松光庵に。そこでS教授のいわゆる「GZ羅」いや、こう書いてみると十二神将みたい、氏と合流。最後は片町に行ったみたい(よく覚えてません。名刺はずいぶんヤリトリしたけど(ああ、4月からまた作りなおすからイイんです)、覚えてるコはいない、あれならウチの学生のホウがよほど上!(続く)

0 コメント

2012年

2月

06日

古本屋渉猟①

休日でも「日本の古本屋」というサイトを読んで、注文しております。時々、掘り出し物が出ることもあり、チェックは欠かせないのであります。最近も、東亜旅行社発行の叢書を数冊入手しました。NDLにもJTBにも存在しないスグレモノ。ことしの課題ができそうです。あ、もちろん、戦時中の旅行についてでありまして、昭和15年から18年くらいまで(できれば20年8月9日まで)をカバーしたいと考えております。先行研究らしきものを2本ほど見ましたが、ツメが甘い。しかし、昭和18年の5月にガイドブックを発行するとは、いい度胸じゃないの、と感心した次第。かつ、5千部も発行してるのにも驚きます。

多少、値段が高くとも、交通費と古書店歩きの時間と比較すれば問題になりません。(続く)

0 コメント

2012年

2月

04日

後期授業終了

やっと後期が終わりました。あとは試験を1科目、レポートの採点および卒論のチェックだけであります。いやいや、王立海濱院も書かねばなりませぬ。かくて2年目も終わりを迎えました。どうやら4本目も書けそうだし、自分ながらよう勉強してますワ。

1 コメント

2012年

1月

29日

岡山の海水浴場①

について、岡山県立図書館にご意見申し上げたら、早速のご回答がありました。イヤー、じつに気前のイイ図書館で、(ああ、国会図書館を除いて、地方の図書館はおしなべて気持ちがイイのであります。)マイクロフィルムなんぞ、見放題。(ああ、親子連れの利用が日本一だとか言うので、資料探しの合間にお子様にマイクロフィルムの説明をしてあげましたけどネ。)

でもやっぱ、地元の悲しさで、浅口郡誌のお粗末な記事をNDL(あ、これもお粗末な国会図書館ですケド)に提供してるんです。(郷土愛?)それを指摘したら、素早い反応で感心しました、新潟あたりとは大違い!知的レベルの差が出てるかも。(そういや、新潟にナンバースクールはなかったもんネ。いや、あっても価値のないナンバースクールも数々アリマスがネ)

0 コメント

2012年

1月

29日

せっかくのお誘いが

本日はTOEICの受験のため、湯涌温泉での氷室開きに行かれませんでした。そういえば、先日は大M氏がおいでた(いらっしゃった、の金沢バージョンです。いい言葉だと思いますがネ)のに、中M氏の留守録を聞きのがしたし、65歳を前にボケたのかしらん。いやいや、今年の節分は東のオネェサンの踊りの奉納も見られないし、ツイテナイ年と言うべきかも。

TOEICもさんざんだったし、イヤー、まいった。それでも連日の雪スカシ(雪かきでなく、当地ではこう言うのでアリマス)で筋トレができてるから、今年は良しとせねば。

今週は最終講義の週でアリマス。13回の講義の前後にオリとまとめで2回くっつけて15回の講義をマストにしとるんですが、実にアホらしい。オリなんぞ15分で終わるし、まとめも90分はいらんデショ。詰めれば13回で済むのに、何を無駄なことをやってるんですかネー。ま、センセー方には手際の良さは期待されてないんでしょうナ。でも回数だけ確保して、内容はどうでもイイのかネ。

0 コメント

2012年

1月

25日

研究テーマなど③

ああ、つい余計なことを書いてしまいました。(時々見直して、ヤバイのは書き直します)でもね、小学校のセンセイあがり(あ、クズレだったかナ)にナメラレて研究者がやってられッカイ。(あ、O某氏は長から外れました。ご同慶のイタリであります)

で、来年度の研究は、海水浴にいたしました。明治4年の一件も、不確かなことが判明したし(大体サー、明治4年の日付の文書、しかも単なる和訳の写しが明治8年の講義録に挟まって、それを金科玉条にする、この情けなさ。泉下のスロイス先生が泣いておるぞよ。)別口の研究は項目にあげませんでしたが「ゲイシャ」です。「フジヤマ」は今年度、一応まとめました(つもりですがネ、わかってもらえるかナー)ので、フジヤマ・ゲイシャの半分をやっつけにかかるつもり。今般、「観光」なる雑誌を入手しましたので、こっちも研究したいと考えております。更には、戦時中のガイドブックも蒐集中なので、これも研究対象にしようかと。あ、司厨の件もあったんだ。テナ具合に連想で研究のネタが生まれるんですが、年間計画で縛っちゃ、自由な発想は出ませんゼ(ああ、たぶん、何も考えないヒトに悩まされたんでしょうなー。)

0 コメント

2012年

1月

24日

研究テーマなど②

まあ、ガチガチに絞られてる所為で、金沢に来てから急に書き物(あ、論文ですワ)の数が増えました。なかなか面白いシステムだとは思いますが、研究者(と言えるヒトもあまりいませんがネ)を管理するなら、同程度のアタマはないとマズイと思うのですが。(同程度だと思ってるらしいンですが、チョッチュネー)

 科研費と言うのがあって、これを管理したいらしく、前年度の評価内容を公表せよとナマイキに迫るモンですから、関係者(当然、オカミですわな)に訴えるがよろしいか、と言ってやったら、どうも組織の長に訴えると思ったらしい。地方の弱小大学にいると、そんな程度にしかアタマが回らぬものと見えます。馬鹿は死ななきゃ治らない。(いや、K副課長は死んでも治らんでしょうナ)だいたい、以前は評価は親展で来てました。それをハイハイと見せる馬鹿がどこにいる。また、見たってわからんでしょう。やれることは、字句の訂正くらいなモンです。驕っちゃイカン。(続く)

0 コメント

2012年

1月

24日

研究テーマなど①

来年度は単独研究だけじゃなく、共同研究にも手を出してみました。「開墾合資会社」の発生に関する、観光学と法学のコラボであります。あ、これ、書いたっけ。詳しくは書いてないようなのでヒトクサリ。ここらへんの研究は全くなく、資料といえば現地に行って、関係者から聞いたことをそのまま掲載してる、というテイタラクが観光学の従来の姿、というかありよう、でした。これじゃね、小学生の社会科見学を笑えません(つーか、小学生に笑われまッセ)。まあ、先人が悪いのか、後輩がヘボなのか、どっちもどっちでしょうな。前に書いた「禿げ頭、良い分別をさすり出し」よりは「さすっても、分別のない禿げ頭」の方がピッタリかも。

0 コメント

2012年

1月

16日

海水浴の①

それらしい文献が見つかりそうなので、近世史料館に行ってきました。拠り所はKN大のセンセイが書いた「明治金澤の蘭方医たち」というんですが、参考文献が書いてないので、司書サン(学芸員かな)たちをずいぶん煩わせました。参考文献くらい、書いとけよな、だらしがない!さらに、建言の訳文の写しを根拠にして「ともあれ、金澤の地に海水浴を普及させたのがスロイスであることは明白である。」と言い切ってるんですが、アンタ、日本語が読めんのかい。建言は海水浴場を作るべきであると言ってるだけで、これが作った証拠にはならんじゃないの。作ったというなら、いつ、どこに作ったの。それもわからないのに「ともあれ」はないでしょう。いやいや、こんなヒトに病気を治してもらおうとは思いません。学都のレベルもこんな程度だということがよくわかりました、ハイ。私の持論である、馬鹿の拡大再生産論から申しますと、あと数年で「金沢には日本最古の海水浴場があった!」という論文が出てきそうで怖いですナ。あ、怖いというのは、論文を私にこき下ろされて、ヤッパを持ってくるヒトのことですけどね。

 

0 コメント

2012年

1月

04日

再開!①

少々見えにくいのでありますが、広尾の有栖川公園の池の中に琴柱灯篭を見つけました。ナンでも、兼六園の徽軫灯篭(えらそうにことさら難しい当て字、を使わんでもエエやろが、と思うのですが、これがイナカなんです)を模したものだそうで(あ、google情報ですからアテにはなりませんが、ま、ご参考まで)あります。年末にナンでこんなところまで行ったのか、と申しますと、「ゲイシャ印」の缶詰を買いに出かけたのであります。昨年はこのブランドの100周年だったのですが、フジヤマで時間食ったので何も書けず、今年こそ、と思ったので娘とともにお出かけしたワケ。外人サンの多いところなら売ってるんじゃないか、というわけで広尾に行きました。(大規模店舗が改築中で営業してない、というのは娘の調べでわかってたんですが)とにかく行ってみようというわけで駅から歩いたらいやー、ドンピシャリ、ありました、ありました。待望のゲイシャ・ブランド(ツナの水煮でした、サバのトマトソース煮物でないのが残念!)2月には別のGEISHAブランド、チョコレートを入手したいものでアリマス。

0 コメント