カレー粉と肉エキス③

N嬢から有難い情報を頂きました。マレーのハンドブック、初版にはカレー粉じゃなくて、リービッヒの肉エキスが掲載されていたとのこと。いやいや、かような情報があると、現物にお目にかかりたい、と思うのですが…。味わうのは140年も経ってるので無理だとしても、容器だとか、ラベルだとか残っておらんもんでしょうか。

明治時代には「外人サン」は何を食っておったのだろうかというのを今年のテーマにしようかと思ったのですが、ガイド(外人案内業者)研究の裏テーマみたいだし、新進の社会学の学徒を料理研究に引きずり込むみたいで気が引けます。なので勝手に調査することに…。火星の運河で有名な(でもないか)パーシヴァル・ローウェルが能登を旅したのが明治22年、その時高崎駅で「ゆでたまご」を売っておった、と書いております。しかるに、漱石先生(福沢先生と同格にしている訳ではございません、念のため)が阿蘇に登った明治32年には、熊本県阿蘇郡内牧で女中サンが半熟卵を知らなかった、という記述が出てきます。半熟の意味が解らない女中さんに説明して出てきたのが片方は生卵、片方はハードボイルド。女中さんをなじると、「半分、煮て参じました」と答えるあのくだりです。いやいや、変な雲行きになってまいりました。