平安時代の海水浴②

さて、新年度から書初めとまいりましょう。日本人がいつから海水浴、つーか海水に浸かってたかというと、まあ、祝詞(ああ、入学式じゃなくて、ノリト)やら日本神伝流(古式泳法です、カイロにもあるようですが)にあるように、イザナギノミコトが黄泉国(ヨモツクニです、はい)の穢れを払うために「ヒムカノオドノ…」と言ってますので(ああ、稗田阿礼は猿女の君の一族で女だったらしいのでありますが、ヨモツヒラザカは山陰あたりにあって日向とはだいぶ離れてる、地図が読めないところから、あ、こりゃ、絶対女であったワイ、と改めて思った次第)このへんかと。魏志倭人伝にも出てますが、こりゃ、職業人です。ま、禊らしいのも書いてはありますが。で、信用が置けるものというと、平安時代にいかざるを得ないワケ。いわゆる「しほゆあみ」というヤツです。「しほ」は塩もしくは潮、ゆあみは湯浴みですが、イマイチしほ+ゆあみなのか、しほゆ+浴みなのか、よくわからない。つまり、冷浴だったのか温浴だったのかがわからない。いくら重箱のスミをつつくような国文学でもここまではヤランもんね。すでに国歌大観から数十例を拾ってるので、ネタには事欠かないつもりですが、これをどうまとめるか、がポイントなのであります。例の「総ざらえ」をもう一度やらねば。韓国・全州市での発表がタノシミです。