ただ今四本目執筆中①

海濱院を書いておるのですが、「海濱院」の呼称の仕分け(ホンモノと海水浴場の僭称と結核療養所とレジャーランドに分かれます、結構メンドクサイ)と鎌倉海濱院の記事の整理で手間取りました。新島襄がここに滞在したのは拙稿「第二次世界大戦以前の日本のリゾートについて」執筆時に集めた資料(あ、結構マメに集めトルのです)で知ってましたが、それを引っ張り出すのに時間がかかりました。まあ、お蔭で同志社OBの調査結果(ナント、海濱院の写真のネガを持ってる神社があるのだそーです、一遍見に行かねば)も判ったし、看護婦(史料ですから看護師とは言いません。あ、こりゃ某大学へのイヤミかな)の歴史も勉強しました。新島は「看病婦」と書いておるのですが、前年自分の作った養成所の名前も「看病婦」となっておることを知った次第。あ、このへんの研究もまばらで、内容もマダラです(つまり、ボケてる、と言いたいワケ)。史実だから皆同じ記述かと思いきや、ああここらでやめときましょう、時間のムダ。(続く)