フジヤマ・ゲイシャ考(番外)ビーグル号異聞

リクエストがあったので、また資料を引っ張り出してきました。「明治3年6月鹿児島藩献納、明治14年9月12日除籍、船体を摂津艦に附属す、同15年7月船体を東海鎮守府に属し浦賀永泊と為せしが、同22年3月売却せり。」軍が物品を売却するのはよくあったようです。(古い新聞広告にも出ています)のでこのへんを調べれば、売却広告くらいは見つかると思いますが、買ったやつまではちとわかりかねます。

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コメント: 1
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    佐竹 真一 (月曜日, 20 6月 2011 18:35)

    海軍兵学校で練習艦(あるいは、教育船)であった「摂津」に附属したのであれば、元ビーグル号の「乾行」も、帝国海軍軍人の養成に一役かった時期があるということですね。その後、7年間も、浦賀に停泊して、明治22年まで軍籍を永らえた。欧米の知識人なら必ず知っている元ビーグル号が、こんなに長く日本で余世を送っていたとは、驚かされます。それで、売却されたあとの運命は?興味深いところですが、まさか木造船だからといって、薪にされ煙となった、のでしょうか? その末路は、明らかになりませんか?