フジヤマ・ゲイシャ考①

昨年末からこのテーマに取り組んでおります。研究仲間である佐竹真一氏の友人から寄せられた疑問が発端となったものですが、これはひとつの盲点でありました(と言うより、こんなことを調べた人はいなかった)。大体、いつごろから「フジヤマ・ゲイシャ」(もしくは「フジヤマ・ゲイシャガール」)などと言いはじめるようになったのか、なぜフジサンでなくフジヤマなのか。戦前のインバウンド・ツーリズムの旗手・国際観光局についてあれこれ調査してきた結果としては、戦前の観光(公的)ではキャッチフレーズに「フジヤマ・ゲイシャ」を用いた事例は見られない(楠元某氏の「万博でキャッチフレーズにゲイシャを用いた」とする説は甚だ疑問というか、アホらしい妄説と思われる)。旧JTB(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)の出版物には「フジヤマ・ゲイシャ」もしくは「フジヤマ・サクラ・ゲイシャ」が見られるところから、元凶は旧JTBに違いないとこの春休みに4人(私および大阪観光大学の佐竹氏、教え子の中村敏氏、中谷達也氏)がかりで国会図書館(関西館)でTOURISTなる雑誌を総ざらえしたところ、これが濡れ衣であったことが判明(旧JTBさん、ゴメンネ)。(続く)